使徒信条(しとしんじょう)(口語文こうごぶん)
わたしは、天地(てんち)の造(つく)り主(ぬし)、全能(ぜんのう)の父(ちち)なる神(かみ)を信(しん)じます。
わたしは、そのひとり子(ご)、わたしたちの主(しゅ)、イエス・キリストを信(しん)じます。
主(しゅ)は聖霊(せいれい)によってやどり、処女(おとめ)マリアから生(う)まれ、
ポンティオ・ピラトのもとで苦(くる)しみを受(う)け、十字架(じゅうじか)につけられ、
死(し)んで葬(ほうむ)られ、陰府(よみ)にくだり、三日目(みっかめ)に死者(ししゃ)のうちから復活(ふっかつ)し、
天(てん)に昇(のぼ)って、全能(ぜんのう)の父(ちち)なる神(かみ)の右(みぎ)に座(ざ)しておられます。
そこから来(き)て、生(い)きている者(もの)と死(し)んでいる者(もの)とを審(さば)かれます。
わたしは、聖霊(せいれい)を信(しん)じます。聖(せい)なる公同(こうどう)の教会(きょうかい)、聖徒(せいと)の交(まじ)わり、
罪(つみ)の赦(ゆる)し、からだの復活(ふっかつ)、永遠(えいえん)のいのちを信(しん)じます。
アーメン
使徒信条(しとしんじょう) (文語文ぶんごぶん)
我は、天地の創造主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。
我はその独子(ひとりご)、我らの主イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてみごもられ、処女(おとめ)マリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦難(くるしみ)を受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、
三日目に死者のうちより復活し、
天にのぼりて全能の父なる神の右に座し給う。
かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審き給わん。
我は聖霊を信ず、
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、
体(からだ)の復活、永遠の生命を信ず。
アーメン
この「使徒信条」も教会に通うひとたちが、
いっしょに唱える言葉です。
ところで、この「使徒」とはなんでしょう。
これはイエスさまとともに伝道につとめた
12人の弟子のことです。
その弟子がイエスさまの昇天ののち、
各地で伝道に当たって、
自分たちの信仰を言葉として
あらわしたのが、この「使徒信条」だといわれています。
じっさいには、使徒がみずから筆をとって書いたというよりは
使徒から伝えられた教えをそれぞれの教会が記憶にとどめ、
それが自然にひとつにまとまったというべきかもしれません。
「主の祈」がイエスさまから授けられたのに対し、
この「使徒信条」は信者みずからが
言葉にしたところに意義があります。
読んでみると、新約聖書をみごとに
要約していることに感心いたします。
教会に集うひとたちは、
この「使徒信条」を唱えることによって、
その信仰を告白しているのです。