ヒストリー

ヒストリー

伸びる信仰の"芽"

東京の郊外、住宅の立ち並ぶ街の中ほどに
信仰の小さな"芽"が芽吹きました。
戦後間もない1946年のこと。
柏木教会の会員の居間で、家庭集会・聖書輪読会が開かれたのです。
この芽は地域住民の熱意もあって、少しずつ育ち始めます。

1951年、柏木教会の斎藤達也牧師からの援助もあって
集会は月2回開かれることになります。
日曜学校の先駆けとなるこどもの集まりも持たれます。
翌年にはあるご家庭、さらには千早保育園を借りて
東長崎伝道所が開かれます。

"芽"から"若木"、そして"大木"へ

そこで持たれた聖書の研究会や祈祷会は、
参加者の熱意もあって、さらにさかんになっていきます。
1954年には東長崎伝道教会(同年12月には豊島北伝道教会と改称)
が建設されます。
柏木教会から斎藤牧師が主任として就任、
会員も26名が転入します。
信仰の"芽"は、若木へと育ったのです。

56年には現在地を借り入れ、
3坪の祈祷室が建設されます。
牧師としては吉田信夫先生が就職されます。
58年には現在の会堂と旧牧師館が姿を現します。
それと息を合わせるかのように婦人会、
青年会が活動をさかんにします。
信仰の若木は千早の地に確実に根を張り、
枝を伸ばしていったのです。

伸びる枝、繁る葉、成る実

65年には平山亨先生、
73年には大浦勝先生が牧師に就任、
77年には会堂を拡張し、現在の牧師館を建設します。
さらには98年、芳賀繁浩先生が就職します。


この教会はキリストのからだであって、
すべてのものを、
すべてのもののうちに満たしているかたが、
満ちみちているものに、ほかならない。

(日本聖書協会『口語訳 新約聖書』
エペソ人への手紙/1章23節)

豊島北教会の"樹"は
神様のみ恵みと会員の信仰とによって
大きく育っているのです。

年表・豊島北教会のあゆみ

1945年 千早小学校での柏木教会植村環牧師の講演会
      発案者は当時の町会長栗原コト氏
    柏木教会会員宅での家庭集会・聖書輪読会
      母体は戦時中の「教団婦人報国会」
    こどもの集まり(日曜学校)
1951年 柏木教会斎藤達也牧師が応援
      家庭集会が月2回になる
1952年 柏木教会東長崎伝道所
      礼拝・毎聖日 夕7:30 平沢宅→千早保育園
      聖書研究・祈祷会・毎木曜夕 宅回り
1953年 礼拝・毎日曜日午前となる
1954年 東長崎伝道所教会建設(同年12月に豊島北伝道所と改称)
    斎藤達也主任者就職
      柏木教会から26名転入
      日曜学校(土曜)生徒数90名、3回入れ替え
    無牧の14ヶ月 木下順治先生が応援
1956年 現在地を借地
    吉田信夫主任者就職
    現在地に3坪祈祷室建設(総工費6万円)
1958年 現会堂+旧牧師館建設(総工費396万円)
      婦人会による「仕事会」
      幅広い外部講師による特色ある伝道活動を実施
      青年の信仰上の教育に力を注ぐ
1963年 教会建設 吉田信夫牧師就職
      勉強する婦人会、青年会等
1964年 日曜学校教室建築(総費用70万円)
1965年 平出亨牧師就職
      礼拝出席への訓練
1971年 八千代台、南柏伝道開始
1973年 大浦勝牧師就職
1974年 所沢家庭集会開始
1977年 会堂増築+現牧師館新築
1989年 礼拝順序の変更
1998年 芳賀繁浩牧師就職