読む礼拝


2024年5月12日(日) 主日礼拝
聖書:マルコによる福音書7章1-8節 
説教:「その心は私から遠く離れている」

1 遠く離れた心


 「この民は唇で私たちを敬うが/その心は私から遠く離れている。/空しく私を崇め/人間の戒めを教えとして教えている。」主イエスはファリサイ派の人々と律法学者たちに対して、旧約聖書のイザヤ書29章13節の御言葉を引用し、彼らの偽善を指摘します。「偽善者」という強い言葉と相まって、物語には緊張感が漂います。しかし、学びや対話は、相互間の然りと否を繰り返す中で深まっていきます。腹を割って話すそのとき、信頼関係は深まるのですから、主イエスはこの時、エルサレムから来た律法学者の人々と律法学者たちと腹を割った対話を望んでいたのではないでしょうか。

 これまでも主イエスは対面する一人一人に合わせることにおいて、より深く交わろうとしてきました。汚れた霊には「神の聖者」として(マコ1:25)、また「神の子」として対峙し(3:11)、民の前では「医者」のようであり(2:17)、また「羊飼い」のようでした(マコ3:30ff)。会堂では「教師(ラビ)」として、弟子の前では、「師」として振る舞うのでした(1:16ff,1:21ff等)。
 そして宗教的指導者の前では、対等な立場で振る舞ってきたのです(マコ2:23ff,3:1ff)。聖書に精通し、よく議論し、間違えを指摘し合い、神の御心を尋ね求める指導者として彼らと交わる姿が今までも描かれてきました。

 もし私たちが主イエスに倣うのであれば、ここにもう一度、ファリサイ派や律法学者たちが一概にキリスト教徒の敵対者ではないということを確認しておかなければいけません。今まで多くの神学者が、彼らを敵対者としてのみ見て来、彼らの思想を避けることに専念してきました。

 しかし、敵対者、無理解者、不信仰者、罪人、そのようなレッテルを張るとき、人は人を否認してしまいます。結果、対話はなくなり、争いを生み出すことにつながるのです。キリスト者は常に、主イエスのように相手を受け入れる姿勢を持つことが必要でしょう。特に律法学者やファリサイ派の人々は、旧約聖書に精通し、主の御心を求め、主の前に清くあろうとし、伝統を重んじ、よく学び、よく励んでいた一人の信仰者であることを忘れてはいけません。今まで福音書が伝えてきた主の姿を思い起こしながら、本日も共に聖書に聴いていきたいと思います。

2 ファリサイ派と律法学者

 7章の最初の物語で、ファリサイ派と律法学者が再度登場します。ここで再度、ユダヤ人の宗教と社会についておさらいしておきましょう。当時のユダヤ社会は、ローマ帝国の支配下にありましたが、宗教については(ある程度)自由が認められていましたので、ユダヤ人たちは聖書を通してご自身を証しされた唯一の神様を信仰し、神の言葉である聖書を聖典としていました(この時代の聖書とは、私たちキリスト者が旧約聖書と呼ぶものです)。ユダヤ人たちは聖書の中でも創世記から申命記の五つの書簡をトーラー(律法)と呼び、十戒を始めとする神様から与えられた規定を法として順守していました。

 トーラーは、通称「モーセ五書」と呼ばれております。その名の通りモーセが書き記した書簡と考えられていたからです(現代ではそれは否定されています)。ですからトーラー(モーセ五書)は「記述律法」(「成文(本となった)トーラー」)と呼ばれるようになりました。これに対し、「口伝律法」と呼ばれるものがあります。

 トーラー(モーセ五書)を一度ご覧になった方はその細かさと難解さに辟易した経験があるかもしれません。そのため、法規定に関する解釈や分析や議論が必要になりました。トーラーの実用化のために、そこでユダヤ指導者のラビ(教師)が集められ、数百年の長い年月をかけて論じられ(始まりは紀元前6世紀ともいわれている)、解釈され続け、細かな規定が考案され、施行されてきました。

 こうして伝えられたトーラーの解釈を「口伝律法」と呼びます。「口伝律法」は「父祖の伝承」とも呼ばれ、ユダヤ人の守るべき規定という位置を獲得し、また大切な伝統として、トーラーに並ぶ第二の律法となり、主イエスの時代にも順守されてきたのです。

 ユダヤ人社会はトーラーの「記述律法」とラビ達が語りつないできた「口伝律法」の二つの律法によって社会を形成し、司法と行政を行っていたのです。二つの律法を柱とし、サンヘドリンと呼ばれる最高法院が立てられたのですが、その構成員の内の一人が、律法学者でした。律法学者は貴族議員とともに「民の長老」(Ⅰマカバイ7:23)と呼ばれて民を指導していたのでした(この制度は、日本キリスト教会が長老制を謡っていることに似ているといえるでしょう)。

 次にファリサイ派の人々についても見ておきましょう。ファリサイ派とはユダヤ人の宗教を代表する三つの宗派の一つです(サドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派)。ファリサイ派は、サドカイ派の貴族集団と一線を画す宗派でした。ファリサイ派は、サドカイ派が特権的少数の貴族集団だったのに対して、大衆を味方につけた集団でした。

 その人数は6000人にも上ったと言われています。サンヘドリンの議員後世においてはサドカイ派に引けを取ったが、大衆の支持を得て、議会では大きな影響力を持っていました。

 彼らは(サドカイ派と違い)「記述律法」と同等の権威を「口伝律法」に置いています。「記述律法」の律法違反を防ぐための予防線としての「口伝律法」に熱心に守っていたのです。律法学者の多くが、ファリサイ派に属していました。ですから、律法学者たちやファリサイ派の人々が主イエスと対面した時、「口伝律法」に違反するかしないかの問答が繰り広げられています。

 彼らにとって「口伝律法」を守る、守らないは、神の前で「清い」か「汚れている」か、といった大きな問題でした。彼らは「口伝律法」を守らない者を宗教的に「汚れた者」と見ました。ユダヤ人の法を知らない異邦人を始め、律法を知りつつ、食物規定や本物語に記されている清浄規定を守らないユダヤ人、そして貧困などのいかなる理由があろうとも十分の一税を遵守しないユダヤ人(土地の民:アム・ハアレツ。ヨハネ7:49参照)を、宗教的汚れとみなし、差別の対象としました。本物語で主イエスが指摘したのは、ここでありました。

3 偽善者

 律法学者やファリサイ派の人々が初めて登場した時から、彼らが問題として取り扱ってきたのは、宗教的汚れや罪についての問題でありました。(厳密には律法学者の名称は1章22節に出てきますが、)まず律法学者たちが実際に主イエスと対面します。マルコによる福音書2章6節です。そこでは、「罪の赦し」についての問答が繰り広げられていました。

 ファリサイ派という名称は2章18節に出てきます。洗礼者ヨハネの弟子たちとともに断食を守るユダヤ教の信仰者の代表として人々の話題に上がっています。ここでは「断食」についての問いが投げかけられています。

 ファリサイ派の人々は、「安息日」についての問答で、主イエスと初めて対峙します。ファリサイ派の人々は、「口伝律法」の安息日規定を守らない主イエスの弟子たちを違反者として、その師である主イエスに訴えるのでした。この問いは3章1節以下でも繰り広げられています。そして今回は、「手を洗わない」という規定について、主イエスを訴えるのです。

 形を変え、品を変え、律法学者やファリサイ派は「口伝律法」を守らないことで、主イエス一行を攻め立てようとしているのがわかります。しかも今回のファリサイ派と律法学者は、首都エルサレムから来ているのですから、その権威はガリラヤのそれを上回ることでしょう。

 昔の人の言い伝え、つまり「口伝律法」の権威を頼りに主イエスを論破しようとするファリサイ派の人々および律法学者たちに対し、主イエスはいつも一つの権威に則り彼らと対峙します。主イエスは父なる神様の御心と御言葉が記された聖書の権威に立っていたのです。いつまでも自分の知識と昔の人の言い伝えに権威の根拠とする指導者たちを、主イエスを主イエスは「偽善者」と表現し、彼らの過ちを指摘するのです。

 「偽善者」という訳は、厳しい批判の言葉のように聞こえますが(古代ギリシャ語では「役を演じる」とか「役者」を意味する言葉ですから)ここはむしろ、無意識のうちに神様から自分を遠ざけている人、つまり「不敬虔な人」の行動による矛盾を指摘しています。親切そのものや敬虔そのものではなく、親切らしく、敬虔らしく演技し、自他ともに名演技に陶酔していることを訴えているのです。主イエスの訴えは、イザヤ書に記された聖句を根拠としております。

  「この民は唇で私たちを敬うが/その心は私から遠く離れている。/空しく私を崇め/人間の戒めを教えとして教えている。」

 主イエスは昔の人の言い伝えである「口伝律法」を守るあまりに、また受け入れるあまりに、聖書に規定された神の言葉が蔑ろにされている現実を指摘します。差別を生み出してしまうのは、神の求める事だろうか。決してそうではないではないか!と、主は厳しく訴えるのです。

 清さを守ろうとするあまりに、境界線を作り上げ、人を差別することを主なる神が望んでおられるわけがありません。汚れを放置し、差別することで、自らを清く保つことなど言語両断なのです。そして、物語は偽善にあたる具体例が提示されることによって深まっていくのです(次回に続く)。


2024年5月5日(日) 主日礼拝(合同礼拝、日曜学校日)
聖書:マルコによる福音書6章53-56節 
説教:「皆、癒された」

1 はじめに(子どもたちを覚えて)


 湖の上を歩いて舟に近づくイエス様を幽霊と勘違いし、恐れ、叫び声を上げる弟子たちに、イエス様は優しく声をかけました。「安心しなさい。私だ。恐れることはない」。イエス様は、湖を歩いて渡る奇跡の力を持つが幽霊ではないこと、この世に生を受け、肉(からだ)をもって活動していることを伝えます。「私だ。私は(ここに)いる」とおっしゃるイエス様の声は優しかったことでしょう。

 また、それだけではなく聖書はイエス様が弟子たちを見守っていたと書いています。そして御言葉を通して、傍にいる事、そしてこれからも共に旅を続けて下さることを約束してくださったのです。しかし、弟子たちは、心の中で非常に驚くことしかできませんでした。心がかたくなになっていたのです。心がかたくなると、物事を素直に受け入れることができなくなります。

 弟子たちは、イエス様を受け入れられない状態に陥りました。イエス様と多くの時間を過ごすことにおいて、人の思いを超えた新しい経験を次々にしてきた弟子たちは、頭と心の整理ができていなかったのかもしれません。心は頑なになり、弟子たちは(未だに)不信仰の中にいたのでした(マコ4:35-41「なぜ怖がるのか。まだ信仰がないのか」)。不信仰とは、イエス様のことを信じ信頼できない状況のことを言います。

 それでは弟子たちは初めからイエス様を信じ信頼していなかったのでしょうか。少なくともそうではなかったでしょう。弟子達こそ、イエス様を喜んで受け入れ、信じ信頼して、よく学び、よく仕えていたことをマルコによる福音書は記していました。

 しかし、よく学び、よく知り、そして特別な地位を与えられた人が、従順さを失う時が時々あるのです。子どもの頃素直にできていたことが、大人になってできなくなることも多々あるように、成長による弊害が数多くあることはこの世の常でしょう。

 信頼よりも疑いをもって物事に取り掛かったり、頭ですべてを考えてしまったりしてしまうのです(もちろんすべてを否定するわけではありませんが)。そしてそれは信仰者の成長過程でも起こるのです。学びを深める中、イエス様に従う中、信仰者こそ「不信仰」に陥ることがあることを、心をかたくなにする弟子たちの姿は伝えます。

 それが前回までのお話でした。弟子たちは今後、ますます心がかたくなになっていき、ついにはイエス様のもとから離れてしまうのです。後にイエス様は、このような御言葉を残しています。「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マコ10:15)。「子どものように」とは素直な心で、疑うことなく言葉に耳を傾け、信頼し続け(believing in)、身を委ねる姿のことを子どもにたとえた表現です。

 約束された一つ一つの事柄が、現実となる日のために準備して、ワクワクして待ち望む子どもたちの姿はいつも、信仰とは何かを教えてくれます。信仰は、イエス様のことを喜び、その御言葉に希望をもって聴き従う中で、成長し、芽映え、育っていくのです。
 
 ですから、イエス様は子どもたちを側に招き、「子どものように受け入れよ」という命令をするのです。信仰者の姿を子どもたちから学べとイエス様は伝えます。私たちもまた、本日「日曜学校日」を覚え、子どもたちと共に礼拝を守る合同礼拝の時。また日本では「子どもの日」が祝われている今日。子どものような信仰を、子どもたちから深く学ぶ日にしたいと思います。
 
2 人々の信仰

 そうはいったものの、本日の聖書の箇所は、子どもは一切出てきません。しかし、本日の聖書の箇所は子どものようにイエス様を信じ信頼する人々が登場します。この人々の姿から、私たちは子どものようにイエス様を求める信仰について学ぶことができるでしょう。それでは本日の聖書の箇所を共に見ていきたいと思います。

 さて、イエス様一行は、ゲネサレトの地に着きました。この地は、出発前の目的地であるベトサイダとは別の場所でありました。ベトサイダはガリラヤ湖の北東にあり、一方ゲネサレトの地はガリラヤ湖の西側に広がる地です。なぜ、最初の目的地と違うところに着いたのかは諸説ありはっきりわかりませんが、様々な要因で目的地と到着地が変わることは充分考えられることです(使徒16:6-10等参照)。

 大切なのは、イエス様のおられる場所ではどこでも、御言葉と業とによって福音が実現し、宣べ伝えられるということです。本日の聖書の箇所も、イエス様が物語の中心にいます。しかしより、病人をイエス様の下に運ぶ人々の行動に光があてられていることに注目しましょう(マコ2:1-12)。

 この人々はゲネサレトの地に住む人々でした。ゲネサレトの場所は、聖書の巻末の地図9番にも明確には表記されていませんが、赤字で「ガリラヤ」と書かれてある部分にゲネサレト平原が広がっていたようです。ガリラヤ湖の別名が「ゲネサレト湖」と呼ばれるほど、ゲネサレトという名は当時の人々になじみのある名前でした(ルカ5:1)。また、ゲネサレトは「大臣の庭」とたとえられ、実のならない植物は一つもないと言われるほど、豊かな土壌が広がっていたようです(ヨセフス「ユダヤ戦記」)。

 豊かな土地でイメージされるゲネサレトの地で、イエス様一行を待ち受けていたのは、病人のために癒しを求める人々でした。「人々はイエスと知って、その地方全体を走り回り、病人を床に載せて、どこでもイエスがおられると聞いた場所へ運び始めた」。聖書が伝えるゲネサレトの人々の姿は、マルコによる福音書2章に登場した病人を運ぶ四人の男たちの姿と重なります(2:1-12)。イエス様は、ゲネサレトの人々の内にも四人の男と同様に信仰を見出したのでしょう。結果、病人は「皆、癒された」のです。

 ところで、ゲネサレトの人々は弟子たちの宣教を聴いていたのでしょうか。はたまた、イエ ス様の噂がここにも広まっていたのでしょうか。いずれにせよ人々は、自分のためではなく病人の癒しのために、イエス様の下へ集まります。人々は「せめて衣の裾にでも触れさせて欲しい」と願っていました。

 衣の裾とは、旧約聖書に出てくる衣服の房のことだと言われています(民数15;38-39,申命22:12)。ユダヤ人男性は衣服の四隅に房を作り、その四隅の房に青いより糸を付けていました。この房を見て、「主の戒めをすべて思い起こし、これを行うように」と命令された神様の御言葉を思い出すためです。

「主の戒め」というのは、旧約聖書の時代に主なる神様から与えられた十の戒め「十戒」のことを指します。十戒を思い起こすことは、人の罪を思い起こすことにつながり、悔い改めの祈りとなります。主の戒めである十戒を思い起こし、罪を自覚するための房に触れて癒されるというのは、興味深いことです。

 主イエスの御言葉である「悔い改めて、福音を信じなさい」(マコ1:15)と同様、罪の自覚と悔い改めの上に、奇跡が起こることが暗示されているのでしょう。

 ただ、房に触れることで「皆、癒された」という結果は、このまま受け入れるのであれば迷信に近い表現です。しかしここに、四十年間も出血に悩まされた女性の奇跡物語を思い返す必要があるでしょう。マルコによる福音書5章21節以下の奇跡物語です。出血の止まらない女性は主イエスを信じ信頼し、癒されること願い、後ろからイエス様の衣に触れます。

 彼女の行動が迷信に近いものだったとしても、彼女の信仰を(それはほんの小さな信仰であったにも関わらず!)イエス様は見出し、その思いすべてを受け止め、彼女を許し、癒されたのでした。本日の物語の6章56節が、彼女の奇跡物語とつながっているのは確かでしょう。そして「皆、癒された」のですから、人々が彼女と同様の信仰を持っていたことは明らかなのです。

 イエス様を信じ信頼する信仰を持たなければ、奇跡が起こらないこともすでに記されていました。マルコによる福音書6章の初めの物語です。故郷ナザレでは人々の不信仰ゆえに、イエス様は奇跡を成すことができなかったと記されています。イエス様の力によって奇跡が起こる事は確かなのですが、イエス様の御言葉と業を信じ信頼してその身を委ね従うという人々から応答がなければ、奇跡は起きないことがそこに記されていました。

 受けた者の応答によって奇跡が起こる。そのことは、イエス様がただ奇跡を与える一方的な交わりを求める方でなく、人と人とが相互に交わる人格的な交わりを求める方であることを伝えます。イエス様を信じ信頼し、病や病人を委ねていく、信仰が必要となってくるのです。

3 信仰と不信仰

 このように、マルコによる福音書は今まで語られてきた物語たちを結び付けながら、「皆、癒された」という結論において、(弟子達ではなく他の)「人々」の信仰が強まり、進歩していることを物語っていきます。「人々」の行動は迷信的で、今にも崩れそうな危うい信仰に見えるかもしれません。

 しかし整っていない信仰を、イエス様は認めてくださいました。なぜならイエス様を信じ信頼し、イエス様を求めたからです。そこには教理や御言葉の理解はありません。しかし人々がイエス様の御言葉の意味が分からないから信仰がないのではなく、ましてや教理がわからないから信仰者失格ではないのです。わからないままでも、小さな信仰でも、イエス様は認めてくださる、そのことを本物語は伝えます。

 私たちもまた、弟子でもファリサイ派にも属さない人々の信仰を覚え、この人々のように、また子どもたちのように、イエス様をまっすぐに信じ、信頼し、イエス様を求めるものでありたいと思います。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。
 探しなさい。そうすれば、見つかる。
  叩きなさい。そうすれば、開かれる。
  誰でも、求める者は受け、探すものは見つけ、叩く者には開かれる」
 (マタイ7:7-8)