読む礼拝


「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。」。(創世記39:2)

ラインホルド・ニーバーの祈り

 教会の壁を超えて広く知られ、祈られている祈りの中に「ラインホルド・ニーバーの祈り」と呼ばれるものがあります。

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。


 これはアメリカの神学者・倫理学者であったラインホルド・ニーバー(1892~1971)が1943年の夏に山村の小さな教会で説教したときの祈りであると言われています。当時、祈りを集めた小冊子を編集・発行していたハワード・チャンドラー・ロビンズがこの祈りの原稿を入手し、翌年、彼が編集した祈りの本の中で名前を伏せて紹介しました。

 第二次世界大戦の中、この祈りはカードとして兵士たちに配られ、戦後には、アルコール依存症患者のセルフヘルプグループの標語として採用されます。ニーバー自身がこの祈りを書物に著したのは1951年なってからのことですが、それまでに、この祈りは広く知れ渡っていました。

 それはまさに、困難と苦しみの中にありながら、毎週の礼拝や教会の祈祷会に出席することができない人たち、それどころか教会そのものから離れてしまった人たちにとっても、一つの慰めであり支えであり、導きであり励ましでした。そして、それは、旧約聖書の創世記が伝えるエジプトでのヨセフの姿を思い起こさせます。

ヨセフは連れられてエジプトに下った

 ヨセフがエジプトに下ったのは望んでのことではありません。自分の見た夢のせいで兄たちに憎まれ、命を奪われかけながら九死に一生を得て、思いもかけない形で奴隷としてエジプトに連れてこられたのです。

 それは、自分の注意や工夫、意欲や努力といったものではどうすることもできない、圧倒的で理不尽な出来事でした。そんなことがあるはずがない、あってはならない出来事が、しかし事実、自分自身の上に起こってしまう。ヨセフはそうしたままならぬ人生を歩むほかないわたしたちの代表です。

主がヨセフと共におられた

 けれどもそのヨセフについて、聖書は「主がヨセフと共におられた」と記すのです。とても神様が共にいるなどとは思えないとき、どう考えても神様が共にいてくださるなどとは思えない場所で、しかし神様は私たちと共におられるというのです。

 しかも聖書は「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者とな」ったと言います。兄たちに殺されかけ、奴隷として売られ、見ず知らずの場所で、言葉も通じない人々の中で、主人の理不尽な命令に聴き従わなければならない、それのどこが幸運なのでしょう。

彼は幸運な者となり

 けれども、ヨセフが嘆いたり悔やんだりした様子はありません。聖書は「その主人エジプトびとの家におった」と記すだけです。そこには、与えられた状況を、静かに落ち着いて受け止め、自暴自棄になったりふて腐れたりせずに、与えられたつとめを誠実に果たす姿があります。

 彼は殺されかけたにも関わらず命を奪われずに済みました。突如現れたミデアンびとの商人たちが穴から引き上げてくれたため、兄たちによってイシマエル人に売られるという悲劇を経験することがありませんでした。売られた先のパロの役人で侍衛長のポテパルは、ヨセフの賜物と人物とを正しく評価し、それにきちんと報いる人でした。

不運の中に幸運を見る力

 ヨセフに起こったことは確かに「不運」な出来事でした。けれども彼はその中に「不幸中の幸い」を見出したのではないでしょうか。むしろ不幸の中にも幸いを見つけることのできる力こそが、ヨセフに「幸運」を運んできたと言えるのではないでしょうか。

 そしてその不幸の中に幸運を見出すことのできる力をこそ、人は「信仰」と呼ぶのではないでしょうか。なぜなら、日々の出来事を偶然ではなく賜物と課題として受けとめ、人生を運命としてではなく摂理として見ることこそが、天地を創り、終わりの日に世界を完成させてくださる神様を信じることだからです。

主人は見た

 聖書は「その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た」と記します。ポテパルは何を見たのでしょうか。もちろんヨセフの人格と能力、その結果としての類い希な成果とを彼は見たでしょう。しかし、それが主がヨセフと共におられるゆえであることをどうして彼は知ったのでしょうか。

祈ることと正義を行うこと

 それは、ヨセフが神様と共にあることを隠さなかったからに他なりません。彼はアブラハム、イサク、ヤコブの神に祈ったでしょう。もちろん、奴隷の立場上、ポテパルの家の宗教としてエジプトの神々への礼拝の準備を整えたり、片付けをしたりはしたかもしれません。けれども、自分自身がエジプトの神々に祈ることはなかったはずです。

 少なくとも、ヨセフは、ポテパルが「主が彼と共におられること」が分かるような日々を過ごしていたのです。そしてそれは、ポテパルにヨセフの信じる神様を重んじさせるほどのものだったというのです。

聖書の物語を生きる

 どうしてヨセフにはそのようなことができたのでしょうか。ヨセフ自身が生まれながら持っていた資質でしょうか。そうではないでしょう。むしろそれは、ヨセフが父ヤコブから繰り返し聞かされたに違いない、ヤコブと神様との関わりの歴史、アブラハムとサラ、イサクとリベカの物語、すなわち神様の約束と成就の出来事であり、祈りをもってするその出来事への参与だったのではないでしょうか。

 そうであれば、ヨセフをヨセフたらしめたもの、それはまさに神の言葉であり、神への祈りだったのです。彼は、聖書の物語を生き、祈りを生きることにおいて、エジプトの地、奴隷の地を生き延びたのです。

口を開かなかった

 けれども、そのヨセフの誠実で魅力的な生き方そのものが、新たな試練をもたらします。ヨセフに言い寄ったポテパルの妻の誘惑を退けたことで、ヨセフはかえって彼女の憎しみの的となり、いわれのない罪で獄に繋がれることになるのです。

 けれども不思議なことに、ヨセフは一切の弁明をしていません。どんな弁明も聞かれはしないというあきらめだったのでしょうか。そうではないはずです。じっさい、ポテパルはむしろそれが事実であったとすれば、即座にヨセフの命を奪ったであろう妻の言い分を聞きながら、あえてヨセフを囚人としては一番待遇の良い「王の囚人の獄屋」に入れるに止めるのです。

 ヨセフは、一切の沈黙を守ることで、ポテパルの妻と、ひいてはある意味自分の恩人であるポテパル自身の名誉を守ったのではないでしょうか。それがヨセフの生き方でありやり方でした。それは、ヨセフなりの「正義」の行いであり「愛」のわざだったのです。

主がヨセフと共におられた

 聖書は、「ヨセフは獄屋の中におったが、主はヨセフと共におられて彼にいつくしみを垂れ」てくださったと記します。神の言葉と祈りのあるところ、神の言葉と祈りに支えられて人が正義を、愛のわざを行うところ、そこに神様が、主がおられるのです。

あなたのご計画にこの身を委ねれば

 3行の詩として広まった「ニーバーの祈り」ですが、オリジナルの祈りはさらに豊かです。良く知られた最初の部分を支えているのが残りの部分であることがよくわかります。これが信仰の姿なのです。

 神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
 変えるべきものを変える勇気を、そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。
 一日一日を生き、この時をつねに喜びをもって受け入れ、困難は平穏への道として受け入れさせてください。
 これまでの私の考え方を捨て、イエス・キリストがされたように、この罪深い世界をそのままに受け入れさせてください。
 あなたのご計画にこの身を委ねれば、あなたが全てを正しくされることを信じています。
 そして、この人生が小さくとも幸福なものとなり、天国のあなたのもとで永遠の幸福を得ると知っています。
アーメン

                (2021年4月11日の礼拝のために)


「そして、彼らは『だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか』と話し合っていた。ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった」。
                  (マルコによる福音書16:3)


キリストの墓を訪れる女性たち

 キリストの十字架は、そのまま十字架によって表されますが、キリストの復活を直接表すことのできるものはありません。聖書はキリストの復活の瞬間を描いてはいませんし、その目撃者についての言及もありません。時代が下ると、勝利の旗を手に墓の入口の石を踏みつけているキリストの姿などが描かれるようにもなりますが、それは画家や画家に依頼した人たちの信仰のあかしではあっても、聖書のメッセージそのものではありません。

 古い時代、最も良く用いられたキリストの復活を示す図像は、「キリストの墓を訪れた女性たち」でした。根拠とした福音書の記述によって、女性の数は二人だったり三人だったりしますが、当時の墓を表す塔や円形堂を中心に、一方に天使、一方に女性たちという構図で、キリストの復活が示されています。

マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメ

 この復活のあかしとなった出来事の主人公はペテロでも十二弟子でもありません。「弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った」(14:50)からです。十二弟子はナザレのイエスの「一味」として、当局から追われる立場にありましたし、他の男の弟子たちも、「ユダヤ人の王」を名乗る対ローマ独立闘争の首謀者の奪還に備えた警備のローマ兵たちにとって一番の警戒対象だったでしょうから、ゴルゴダの丘に近寄ることも難しかったにちがいありません。

 いずれにしても、福音書記者マルコによれば、イエス・キリストの十字架を最初から最後まで見届けたのは、警備の責任者であった百卒長と配下の兵士たちを別にすれば、「遠くの方から見ている女たち」だけでした。その中にいたのが、「キリストの墓を訪れる女たち」となる「マグダラのマリヤ、小ヤコブとヨセとの母マリヤ、またサロメ」でした。彼女たちは「イエスがガリラヤにおられたとき、そのあとに従って仕えた女たち」と言われていますが、「なおそのほか、イエスと共にエルサレムに上ってきた多くの女たちもいた」とありますから、実際には、他の女弟子たちに対して、ペテロとアンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネのような指導的な立場にいた女弟子たちであったと言ってよいでしょう。彼女たちは、男の弟子たちが果たすことのできなかったキリストの十字架の証人であり、そしてなにより主の復活の証人とされたのです。

沈黙の土曜日

 この復活の証人たちの働きは、すでに三日前から始まっていました。その日の日没から「何もしてはならない」と定められた安息日が始まります。キリストの遺体は、あわただしく墓に納められなければなりませんでした。「マグダラのマリヤとヨセの母マリヤ」とは、アリマタヤのヨセフがイエスのからだを引取って亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めたのを見届けます。彼女たちはキリストが「葬られ」たことの証人ともなったのです。

 そして、出来事が何一つ起こらない「沈黙の土曜日」が始まります。けれども、世々の教会はこの土曜日を、聖木曜日から始まる「聖なる三日間」のうちに数えてきました。人の目からは何も起こらないように見える一日は、神様の目から見れば、最後の晩餐が守られた聖木曜日、イエス様の裁判と十字架刑の聖金曜日と変わらない、大いなる救いの出来事が起こった一日だったのです。

一週の初めの日

 土曜日の日没に安息日は終わります。自分たちで弔いを行うことができなかった悲しみと悔いを晴らすかのように「マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとが、行ってイエスに塗るために、香料を買い求め」(マルコ16:1)ます。けれども、夜の闇の中、墓に行くことができません。男の弟子たちも助けてくれたようには思えません。定めにより、またどうすることもできない事情から、思いはあってもイエス様のもとに赴くことができない、何もできないということが起こるのです。

朝早くまだ暗いうちに

 けれども、人が何もできないとき、神様はすでに出来事を起こしていてくださいます。「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた彼女たちが、「週の初めの日に、早朝、日の出のころ墓に行」くと、「石はすでにころがしてあった」のです。マルコは「この石は非常に大きかった」と記します。闇が地をおおい、不安や恐れが人の心を塗りつぶしているとき、悪の力、闇の力、死の力が一切の良きもの、美しきもの、気高いものを踏みにじり、押しつぶしてしまっているように思うとき、その悪しき力の前に何一つできない自分の弱さを思ってうつむくほかないとき、「目をあげて見ると」、自分たちには動かすことなどとてもできないと思っていた石は、すでにころがされているのです。私たちの弱さと不信仰を越えて、イエス様は悪の力、闇の力、死の力を打ち倒し、墓からよみがえっておられるのです。

目をあげて見ると墓の中にはいると

 彼女たちは墓の中に入ります。それは死者の汚れを身に帯びることでした。けれども彼女たちは恐れません。それに勝る主への愛と献身とが彼女たちの足を前に進めます。そのとき、彼女たちは「右手に真白な長い衣を着た若者がすわっている」のを目撃するのです。右側は神様の側を、真っ白な長い着物は神に属する存在であることを表します。それはこの若者の言葉が、神様から託された神様ご自身の言葉であることを明らかにしているのです。

 この神の使いは語ります。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。

おののき恐れながら

 彼女たちは「おののき恐れながら、墓から出て逃げ去」ります。マルコは「人には何も言わなかった。恐ろしかったからである」と記しますが、マルコがこの言葉を記していること自体、彼女たちがその恐れを乗り越えて、この神のみ使いの言葉を弟子たちに伝えたことの証拠です。「マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメ」とは、こうして、キリストの復活の証人とされたのです。

ガリラヤヘ

 本来のマルコによる福音書は「恐ろしかったからである」で終わっていたと考えられています。後の時代、他の福音書を参考にして、終わりの部分が加えられましたが、それはマルコの意図ではなかったと言うのです。マルコは、福音書の読者一人一人が、「イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう」との神の使いの言葉の通りに、ガリラヤヘ行って復活のキリストに会うことをこそ願っていたからだというのです。

 もちろんそれは2000年前のユダヤのガリラヤ地方のことではありません。福音書の読者一人一人にとってのガリラヤ、自分がそこで生き、働き、時に苦しみ、悩むまさに一人一人にとっての「現場」において、私たちは生きて働く復活のイエス・キリストに相まみえるというのです。

「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう

 アフリカで医療伝道に携わったアルベルト・シュヴァイツァーは、その時代を代表する聖書学者でもありました(オルガニストとしても高名で、彼の研究書の『バッハ』は今でもバッハ演奏者の必読書と言われています)。彼の学者としての代表作である『イエス伝研究史』の末尾に、彼はその時代までに著されたほぼすべての「イエス伝」を研究し尽くしての結論としてこう記しました。

「湖のほとりで、彼を何人とも知らなかったかの人々を目指してイエスが歩み寄ったように、イエスはまたわれわれの方にも見知らぬ人、名なき者として歩み来る。彼はわれわれにもまた『わたしについてきなさい』との同じ言葉を語り、われわれの時代において彼の解決すべき課題をわれわれに示してくれる。彼は命じる。そして彼に従う者には、賢い者にも愚かな者にも、平和、労役、闘争、苦難において、彼らが彼との交わりによって体験を許されるものを通して、ご自身を啓示する。かくて人々は、口に言いあらわしがたい秘密として、彼の何人であるかを経験するであろう。」

自分にとってのガリラヤ

 イエス・キリストが誰なのか、それを知るためには、実際にその言葉に従って歩み出すしかない。それが聖書学者としてのシュヴァイツァーの結論でした。そして彼はその通りに、医学部に入り直し、一人の医者としてコンゴのランバレネに赴いたのです。

 それは誰もができることではありません。けれども、ランバレネが彼にとってのガリラヤであったように、私たち一人一人にとってのガリラヤを神様は用意しておられます。キリストの言葉、キリストを証しする聖書の言葉に従って歩み出すとき、私たちはついに自分自身のガリラヤに行き、そこに生きて働いておられる復活の主にお会いすることができるのです。この約束と希望とに歩みたいのです。(2021年4月4日のイースター礼拝のために)