読む礼拝


2025年3月30日(日) 主日礼拝 
聖書:マルコによる福音書11章27-33節 
説教:「何の権威でこのようなことをするのか」 大石啓介

1 第一の議論


 三日目の早朝、ペトロと弟子たちに三つの教訓を与えられたイエス様は、その後、エルサレムに向かいました。イエス様が弟子達と共に神殿の境内を歩いていると、祭司長、律法学者、長老たちがやってきます。祭司長、律法学者たちは二日目にも登場し、神殿での出来事を目撃あるいは聞き及んでいました。

 この時イエス様を殺そうと考えた彼らは、長老たちと合流し、一日かけてイエス様をどうやって殺そうかと話し合ったのでしょう。三日目の朝、満を持してイエス様の前に立ちはだかります。ここから五つの議論が繰り広げられるのですが、神殿の境内で行われた議論は、多くの群衆が見守る中行われたようです。群衆の前で、イエス様と宗教的指導者たちとの論争が幕を開けるのです。

 祭司長たちは、神殿の境内で正々堂々と勝負を仕掛けます。自分たちが言いくるめられるとは微塵も思ってもいなかったことでしょう。ラビとしての資格も持っていない、田舎育ちの大工の息子に何ができるだろうか。しかも神殿の境内にて問題を起こす常識知らず。後は捕えて裁判にかけて有罪にするだけだ…と考えていたのでしょう。

 しかし、主権はイエス様の肩にありました(イザヤ9:5)。すべての議論は、イエス様の主導のもとなされていくのです。イエス様の「権威ある新しい教え」(マコ1:27)の前に、彼らはなすすべなく退散するしかないのです。

 さて、祭司長たちがもちかけた一つ目の議論は、次のようなものでした。28節、「何の権威でこのようなことをするのか。誰が、そうする権威を与えたのか」。祭司長たちは「このようなこと」をする根拠を見せよと、イエス様に詰め寄るのです。

 彼らが言う「このようなこと」とはイエス様が行った神殿清めのことでしょう(彼らの目にそれは清めとは映らなかったと思いますが…)。神殿は祭司長、律法学者、そして長老たちの管轄下にありました。神殿で行われていたすべての事柄は、当局の管理の下に行われていました。

 しかしイエス様がそれらをことごとく壊していったのですから、管理者としてはたまったものではありません。器物破損、神殿の秩序を乱す行為は、立派な神への冒涜だと考えておりました。イエス様の行為は、彼らの目に悪と映りました。そこで祭司長たちは、イエス様の行動の由来(つまり権威)を問い、合法的に(あるいは政治的に)裁こうとしていたのです。

 また彼らの目的は、群衆の前でイエス様の権威を失墜させることにありました。群衆の見ていない所でイエス様を捕まえて処刑することもできたでしょう。しかしそれはできませんでした。なぜなら、群衆がイエス様を慕っていたからです。

 祭司長たちは群衆の反乱を恐れていました(マコ11:18)。秘密裏にイエス様を抹殺したところで、群衆の怒りを買う危険性がありました。それは避けたかったのです。

 公の場で、正々堂々と勝負し、勝つ必要がありました。彼らがタイミングをうかがっていたところ、イエス様が神殿内で暴れているとの情報を得ます。これを好機と見た祭司長たちは、自分たちのフィールドで、自分たちに与えられえた権威を武器に、イエス様の権威に立ち向かっていくのです。

 この世の政治・宗教、文化、そして経済の権威を持つ祭司長たちの前に、イエス様の権威は勝てるのであろうか。分は祭司長たちにありました。たった一言でイエス様の権威が地に落ちる可能性がある圧倒的に不利な状況の中、イエス様はどう立ちまわるのか…。

 イエス様の言動に誰もが注目したことでしょう。そのような中、イエス様は逃げも隠れもせず、正々堂々と問いに立ち向かい、順を追ってご自身の権威について語り始めるのです。

 さて、イエス様はここからご自分の権威を語り始めるのですが、その前に、祭司長たちが語る「このようなこと」の意味をより広い意味でとらえておきたいと思います。

 祭司長たちにとって「このようなこと」とは、「イエス様の神殿の清め」のことを指していたということは先ほどお話しした通りです。しかしこれは狭義の意味となります。祭司長たちはイエス様の権威の根拠をこの出来事の中のみから探ろうとしておりますが、それだけではイエス様の権威について知ることはできません。

 私たちはそのような狭い視野の中からではなく、もっと広く、つまり福音書全体を視野に入れてイエス様の権威の根拠を探すことが求められています。イエス様の権威への知識はイエス様と共に歩む全過程において、様々な角度から証明されていきます。

 ですから、ある一か所の出来事を判断材料にして、イエス様の権威を決定づけることは難しい(誤解する危険性すらある)と言えるのです。そのためでしょうか、イエス様は神殿の清めの出来事を越えて、より広い視点において、つまり、洗礼者ヨハネについて語ることから、権威の由来を示していかれるのです。

2 洗礼者ヨハネの権威について

 イエス様は「では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そしたら何の権威でこのようなことをするのか、あなたがたに言おう。」と前置きをし、ご自分に与えられた権威について順を追って答えていこうとなさいます。

 イエス様は権威について回答をはじめるにあたり、洗礼者ヨハネの洗礼に触れ、洗礼者ヨハネの権威について祭司長たちに問かけていくのです。「ヨハネの洗礼は、天からのものだったか、それとも、人からのものだったのか。答えなさい。」(30節)

 この御言葉によって、議論の主導権はイエス様のうちに移るのですが、祭司長たちは自分たちが洗礼者ヨハネに対して考えていたこと、行ったことを思いかえすことになります。

 洗礼者ヨハネについては、マルコによる福音書1章1節から11節、そして6章14節から29節に載っています。洗礼者ヨハネは、旧約聖書の預言通り、イエス様の前に「道備え」をした人物であり、罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼を宣べ伝えた人物として登場しています。

 洗礼者ヨハネの活躍については、聖書だけではなく他の文献からも証明されています(ヨセフス『ユダヤ古代史』)。群衆は彼の教えに心を打たれ、罪を告白し、悔い改めの洗礼を受けました。イエス様もまた彼から洗礼を受けています。洗礼者ヨハネの宣教は、イエス様に引き継がれ、イエス様は洗礼者ヨハネが宣べ伝えていた「悔い改め」に加えて、「福音の中に生きる」ことを宣教するのでした。

 洗礼者ヨハネの影響は、1章5節によりますと、ユダヤの全地方およびエルサレムの全住民にまで広がっていたようです。全イスラエルに影響を及ぼした人物を、祭司長たちが知らないはずはありません。罪の告白と悔い改めが必要な時、祭司長たちは何をしていたのでしょうか。

 洗礼者ヨハネは、6章にてヘロデ王によって処刑されたことが報告されています。その処刑の理由は、ヘロデ王とへロディアの結婚が律法に違反していることを訴えたことにより、へロディアの逆鱗に触れたからです(マコ6:14以下参照)。

 へロディアの策略の中、逆恨みにも近い理由で洗礼者ヨハネは処刑されたのですが、洗礼者ヨハネの正しさが弾圧されたことに対し、律法を重んじ政治を司る律法学者たちは何をしていたのでしょうか。


 イエス様の30節の御言葉は、宗教的指導者のこれまでを問う問いでもありました。洗礼者ヨハネの内に、何を見、何を知り、何を行ったのか。洗礼者ヨハネの権威は、どこからくるものなのか。彼らは今、イエス様の前で、そして群衆の前で答えなければいけません。

「あなたたちは何の権威でこのようなことをするのか」。自分たちの信仰が、そして権威が、問われているのです。

 彼らは論じ合いました。しかしそれは自分たちの権威と信仰を問い直す神学的な議論ではありませんでした。彼らは、洗礼者ヨハネの洗礼は『天からのものだ』とは認めていませんし、信じてもいませんでした。長老たちの答えはすでに出ていたのです。31節からそのことがわかります。彼らは洗礼者ヨハネの権威を認めていなかったのです。

 しかし彼らは論じずにはいられませんでした。なぜなら、そこに群衆がいたからです。祭司長たちはもっぱら群衆を恐れておりました。彼らの論点は自分の信仰ではなく、他人の目から見た信仰でした。洗礼者ヨハネの洗礼は「人からのものだ」と言えばどうなるか、そこばかりを気にしていたのです。

 真理を探し求めるのではなく、他者の目を気にして答えを探し、不利益を被らないように、保身に走るのです。祭司長たちは、まったく回心する気は全くありませんでした。

 彼らが考えたのは、答えることによって人々の宗教的な評価を失いたくない、という一点でした。それゆえに、彼らは明言を避け、「わからない」という言葉によって難を逃れようとします。無知を装いつつ、本当の思いを隠したまま、イエス様の前に思いを言い表すことのできない信仰の内に、果たして権威はあるのでしょうか。

 イエスの回答

 回心する心構えのない人々に対し、イエス様は次のように答えます。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか。私も言うまい。」こうして、明確な答えが与えられないまま議論は閉じられていきます。しかし直接的な答えが与えられなかった責任は、祭司長たちにあります。

 祭司長たちが議論を放棄した、それゆえに明確な答えをイエス様はお示しになりませんでした。ではこの議論は無意味だったのでしょうか。決してそうではありません。

 確かに、明確な答えは示されませんでしたが、それでもなお考えるきっかけをイエス様は彼らにお与えになりました。つまり、答えまでの道筋は整えられているのです。後はそれを熟考することで、おのずと答えは見えていきます。

 その道は、洗礼者ヨハネの洗礼の権威を天からのものだと認めることから始まります。

 なぜなら、旧約聖書の預言通りに洗礼者ヨハネが登場したことを、歴史は物語っているからです。それは、祭司長たちほど聖書に詳しくない人々が心打たれ回心するほど、単純で明快な事実でありました。

 神様の御心を疑わずに、信じるならば、難しいことではなかったのです。すべての人を罪の告白と悔い改めの洗礼へと導く力が洗礼者ヨハネにはありました。旧約聖書の預言の権威が彼の内にあったのです。

 つまりそれは「天からの権威」が彼の宿っていた証拠にほかなりません。神の権威は今や、イエス様に引き継がれ、神の国が近づいたことがますます具現化されています。非の打ち所のない権威ある新しい教え(マコ1:27,2:20-30,4:1-35)、そして罪を赦す権威(マコ2:10)、その権威のもと行われた病の癒しと悪霊追放(マコ2:6-12,1:21-28,29-34,3:1-6他)、そしてパンを増やし、自然をも従わせる力(4:35-41,6:30-44,45-52,8:1-10)、貧しい者、虐げられた者に寄り添う愛(マコ2:13-17,31-35)、律法に対する知識(マコ2:18-28,3:1-6他)…。

 何よりも父なる神ご自身が、イエス様を子と認めています(マコ9:7)。イエス様の権威がどこからきて、誰が、そうする権威を与えたのかは、明白なのです。

 祭司長たちはイエス様が行ってきた事柄を知らなかったわけではなかったことでしょう。彼らも群衆達と同様に、この世を通して与えられた事実から、イエス様の権威を疑わず、罪を告白し、悔い改めなければいけなかったのです。

 イエス様の権威を疑い、行っていることを疑うことは、この世において実現された神の国の力、つまり神様の権威を疑う事であり、それこそ神冒涜の罪となります。

 群衆よりも聖書に精通していた祭司長たちはそのことに気付いていたことでしょう。しかしみとめるわけにはいかなかったのです。彼らは神を信じて破綻するよりも、自らの身を守り、築き上げてきた地位と名誉にすがったのです。罪を告白することができず、悔い改めることができない彼らの見栄は、神殿を「祈りの家」を「強盗の巣」に変えてしまったほどに、歪んでいたのです。

 本物語はここで終了ですが、祭司長たちとの対話はここで終わるわけではありません。イエス様は直接的答えをしめすことをしませんでしたが、彼らとの対話を終わらせることなく、再度話しかけ、今度は譬えを用いて悔い改めと罪の告白を迫ります。

 イエス様は粘り強く祭司長たちと対話を続けるのですが、これは祭司長たちを追い詰める為に行うのではなく、敵を赦し祭司長たちも救われることを願うイエス様の愛が為す行為です。

 神様はすでにこうおっしゃっています。「私は決してあなたたを見捨てず、決してあなたを置き去りにしない」(ヘブ13:5,申31:6,8,ヨシュア1:5)。神の子イエス・キリストもまさにそうです。忍耐強く私たちに寄り添い、愛をもって私たちを養い、信仰の成長を手助けしてくださる方です。

 私たちは時々、御言葉に責められていると感じることがあります。イエス様の御言葉に辛い思いを抱いた方もいらっしゃるでしょう。しかしそのような時に「わならない」と言う言葉に逃げず、また立ち去らず(マコ12:12)、御言葉を心に留め、思い巡らしていただきたいと思います。

 愛の御言葉は時に厳しいのです。救いへの厳しい叱責は、愛の叱責です。罪ある現実を突きつけ悔い改めを迫る御言葉は、福音への架け橋です。「神を疑わずに信じる事」「すべて得られると信じて祈る事」そして「敵を赦すこと」を教訓として与えたイエス様は、私たちの罪が父なる神様に赦されるために、私たちの悔い改めを願って共に生きて下さる方です。

 これから展開される議論もまた、私たちの罪の告白と悔い改めを促すものになります。受難節のこの時、謹んでそれを受け、罪の告白と悔い改めの日々の中、主の御後に従いたいと思います。


2025年3月23日(日) 主日礼拝 
聖書:マルコによる福音書11章20-25節 
説教:「枯れたいちじく」 大石啓介

1 三日目


 三日目の朝となりました。十字架の死が刻一刻と迫っています。イエス様はこの世から父なる神様の御もとへうつるご自身の時が近づいていることを悟りつつも(ヨハネ13:1)、この日もいつも通り、弟子たちと共にエルサレムに向かいます。

 すると例のいちじくの木が根から枯れているのを見かけたのでした。枯れたいちじくの木とは、11章12節以下で登場したいちじくの木のことを指します。葉を見事に繁らせていた木がたった一日で根元から枯れていたのを見た一番弟子のペトロは何かを思い出してイエス様に声をかけます。

「先生、ご覧ください。あなたが呪われたいちじくの木が、枯れています」。

 ペトロはこの時、二日目の早朝のイエス様の言動を思い出していたに違いないでしょう。もしかしたら同時に、神殿での出来事をも思い出していたかもしれません。驚きと戸惑い、疑問と好奇心。ペトロの言葉からは彼の様々な思いを読み取れます。

 しかし彼は、目の前の光景を呪いの結果として受け止めたようです(そうであるとすれば、ペトロはこの時、山上の変貌の時のように、非常に恐れ、どう言えばよいかわからなかったのかもしれません(マコ9:6))。

 しかし、前回もお話ししたように、いちじくの木の出来事は(エルサレム神殿での出来事と同様)、決して「呪い」ではありませんでした。それは主なる神さまの審きの預言でありエルサレムへの警告でした(この警告は、神殿での出来事を通して、神を信じるすべての人々にも象徴的に告げられています)。

 いちじくの木が迎えた結末は、神様が遣わした王メシアの前に何も準備せず、罪を犯し続けた者が迎える結末を象徴的に示したものでした。

 しかしそのことが示すのは、呪いの警告ではなく、救いの警告です。神を信じる人々が同じ道をたどらないようにするための警告であり、「悔い改めて、福音の中に生きよ」と導く教えです。それはつまりそれは、福音の出来事でありました。

 確かにイエス様は呪うこともできるお方です。しかしイエス様は呪いの力によって人々を支配し、世を正そうとするお方では決してありません。平和の王、誰よりも従順な人の子、救い主メシア、神の子であります。

 それゆえにペトロの解釈は誤りでありました。ペトロの知恵は、人間的解釈からくるもの、つまり起こった出来事をこの世的に解釈する人間の知恵であったと言えるでしょう。

 その知恵は、木に起こった出来事を「呪い」としてしか見ることができませんでした。これこそ人間の知恵の限界!イエス様のなさる事柄に対し、福音を見出せない解釈は、イエス様の御心とは食い違っているのです。彼はまたしても無理解な弟子の姿をさらしてしまうのです。

 しかし、無理解の中発せられたペトロの言葉が、イエス様の教えを導き出したことにも目を留めるべきでしょう。

 ペトロの声はこれまでもイエス様の大切な教えを導き出しています。イエス様が起こした出来事に問いかける勇気が彼にはありました。ペトロには誰よりもイエス様を信じ従う信仰がありました。イエス様は、神を信頼する人の出した声を安易に否定しません。例え信仰が小さく、無理解から言葉が発せられるとも、イエス様はその耳で受け止め、答えて下さるのです。

 ただしイエス様は、弟子たちの無理解をそのままにしておかれません。信仰の成長を求めています。そのためイエス様はこの時、教えによってペトロの信仰を前進させようと導きます。

 その教えは、「呪い」を否定し、いちじくに起こった出来事がイスラエルの没落を預言的に象徴するものであると解説するのではなく、基本に立ち返ることを求める教えでペトロを導きます。

 無理解への戒め、または叱責によってもペトロを教育することはできたでしょう(マコ8:33。8:30,10:14参照)。しかしイエス様は、弟子たちが信仰の道を踏み外す危険があるとき以外は、戒め叱る方ではないのです。

 イエス様には一つの確信のもと、弟子たちを教育しています。ヨハネによる福音書13章8節(p190)をご覧ください。そこには十字架にかかる前夜に弟子たちの足を洗うイエス様の物語が描かれています。

 イエス様はその時、ペトロに次のように語り掛けます。「私のしていることは、今あなたにはわからないが、後で、わかるようになる」(ヨハ13:8。他2:22,12:16など参照)。イエス様は聖霊が後に弟子たちに悟りを与えて下さると確信していたのです。

 そのため本物語でも、ペトロの無理解に心を留めるのではなく、ペトロの心にいちじくの木の出来事が刻まれたことに満足し、それを信仰と認めつつ、無理解へのとがめを越えた、それ以上に大切な信仰の要となる教えを展開していくのです。

2 枯れたいちじくの木の教訓

 イエス様にとって重要な関心は、イスラエルに対する神の審きを預言する事ではなく、豊かな実を結ぶ神の国を実現することにあります。

 そのためイエス様はペトロに対する応答として、いちじくの木に起こった出来事が示す消極的な意義ではなく(象徴行為における審きを解説、または無理解への叱責)、それを越えた積極的な意義、つまり実を結ぶ信仰の教訓を与えていくのです。

 さて、本物語でイエス様が与えた教訓は、端的に言えば、「神を信じること」、「祈ること」、そして「赦すこと」といった基本的な三つの教訓です。旅の終わりがみえるこのとき、なぜイエス様は改めてこの教訓を語るのでしょうか。

 イエス様の意図を知るためにも、一つずつ丁寧に見ていきましょう。

 第一に語られる教訓は、「神を信じなさい」というものでした。この御言葉は直訳すると「神の信仰を持て」または「神に対する信仰を持て」となります。単純なことですが、信仰の内にこの基盤がなければ(もしくは安定していなければ)、信仰はいとも簡単に崩れてしまうことでしょう。

「神を信じなさい」という教訓は、「誰でもこの山に向かって、『動いて、海に入れ』と言い、心の中で少しも疑わずに、言ったとおりになると信じるならば、そのとおりになる」という23節の御言葉によって飾られます。23節は信仰のなす偉大な業が語られ、第一の教訓を補足する役割を担うだけではなく、第一の教訓と第二の教訓の橋渡しでもあります。

 つまり信じる教訓と祈る教訓をつながる役割をも担っているのです。

 23節の御言葉は、マルコによる福音書9章23節における「信じる者には何でもできる」との御言葉と共鳴しています。9章では信仰者の信仰に対し癒しが与えられましたが、11章23節では、より壮大に、山をも動かすことができると語るのです。

 この御言葉から(またゼカリヤ書4:7,14:4,10参照。ゼカリヤ書では、終末の日の表象として、山が海へ移ると語ります)「山を動かすほどの信仰」ということばを生み出されています。

 しかしこれは信仰者の信仰をたたえる言葉ではありません。信仰者は「心の中で少しも疑わずに言ったとおりになると信じる」だけしかできないのです(ヤコブ1:2-8参照)。

 人の力を信じず、神様を信じること、これが大切です。山を動かすことができるのは神様であり、人間の力によるものではありません。信仰とは自分の力を信じることではなく、自分の可能性を疑わない事ではなく、神様を信じ、神様の力を疑わないことなのであることを23節は語ります。

 神様への信頼の中で、神様との対話の中で、ふさわしく「心の中で山に向かって『動いて、海に入れ』と言う」とき、驚くべき力が現実の中に働くのだとイエス様はおっしゃいます。イエス様は全く疑わず、神様を信じる信仰によって山を動かすことができると信じています。

 イエス様はこの教え「よく言っておく」、つまり「アーメン」と言う言葉とともに、語られています。「この言葉は然り!」であり、例えではありません。神の子イエス・キリストは神様を信じているからです。

 神様を疑わず信じよと命じられたイエス様は、次に「祈りの教訓」へと発展していきます。神様に祈り求めよ、そして祈ったことはすでに得られたと信じよというという教訓が語られているのですが、これも信仰者にとって基本的な教訓です。この祈りの中心にも神様がいて、祈りは適えられるとの確信は、神様が適えて下さるという神様への信仰の上に成り立つ者です。

 神様に祈るとき「何でも」適えて下さる。その確信が大切だとイエス様は語ります。もちろん、祈りは神様からくるものですので、祈りの内容の正しさは精査されるのですが、神様を心から求める祈りを、神様は必ず適えて下さるのです。

 そして祈りの教えは、敵を赦せという教えへ結びつきます。祈りは信仰に基づくものです。ゆえに、信仰に伴う愛も欠かすことができません。許すことは信仰に欠かせない要素なのです。

 しかし、この三つの教訓は、ユダヤ人であればだれでも、また異邦人であっても信仰者として歩み出した人が最初に教わる教訓といっても過言ではないでしょう。しかしこの教訓は、信仰の土台でもあります。何事も土台が大切です。

 土台がしっかり据えられていなければ、その上にいくら信仰を積み重ねてきたとしても、やがて信仰は崩れてしまうでしょう。実際、エルサレムの信仰は今にも崩れそうでした。

 エルサレムには律法を守る事で徳を積めると考える者、献金の額や豪華ないけにえを捧げことで神の国に入れると考える者、金儲けに目がくらんだ者、隣人をだます者、貧しい者を顧みない者、神の目よりも群衆の目を畏れる者で溢れておりました。

 彼ら彼女らは信仰の基礎を固めることができず、祈りの家さえも強盗の巣にしてしまっていたのです。エルサレムの信仰は、神様のみこころに適った信仰ではありませんでした。

 それどころか罪を重ね滅びの道を歩んでいました。人々は残念ながらそのことに気づいておりません。罪を告白し、悔い改めて神に立ち帰ることが求められています。

 ではなぜ、イエス様はこの教訓を弟子たちに与えられたのでしょうか。この教訓は優先的にエルサレムにて語られるべきことではなかったのでしょうか。それは、弟子たちこそ優先的に信仰の立て直しが必要だったということでしょう。不信仰は対岸の火事ではないのです。弟子たちも同様に自分たちの信仰を悔い改めなければなりませんでした。

 ペトロの無理解からも察することができるように、弟子たちの信仰は未熟で、イエス様の御心を把握できておりませんでした。これから続く宗教的戦いの前に、彼らの信仰は今一度神様に立ち帰り、信仰の土台を固く据え直す必要があったのです。

 イエス様は、ご自分が天に帰られる時期が迫るこの時、愛する弟子たちの信仰の土台を整えていかれることを優先的に指導していくのでした(ヨハネ13:1参照)。

3 最後に

 説教も終わりを迎えるにあたり、本物語をまとめるとともに、次の物語への橋渡しをしておきたいと思います。

 本物語の最後25節の後半は、ただ20節からの物語にかかるだけではなく、12節から続く物語集の全体にかかる言葉として捉えることできます。つまり罪の結果の象徴的教え(12-14節)、清めの行為(15-29)、そして教訓(20-25a)、そのすべてが「神様があなたがたの過ちを赦す」(25b)ことへと集中していくということです。

 罪を知り、滅びを知り、それを畏れ、罪を赦してくださる神様を知り、神様を信じ、罪の赦しをこい、神様が祈りを聞いてくださることを知り、また祈り願うだけではなく自分も敵を赦していく。その経験を通して、罪を赦す神様の存在を知ることができます。イエス様はそのことを弟子たちに、そして私たちに教えてくださるのです。

 神様に対する人の罪は、まったくもって赦されることではありませんでした。たとえ山が海に動いたとしても、赦されないほどに罪は深く、滅びへ道を歩んでおりました。

 イエス様は、いちじくの木に対する行動やエルサレムでの行動において、人々の罪を明らかにし、滅びの道を示し、そのことを証ししています。人々の罪の深さは弟子たちも同様にもっているものでありました。

 神を知りながら、イエス・キリストを知りながら、未だにイエス様を理解せず、罪深く、疑い深い者たちとしての現状があったのです。一人一人が滅びの道を歩んでいたのです。しかし誰一人滅びへと至らないように、神様は救い主を送ってくださいました。

 その救い主が、神様への信仰へとたちかえるならば、神様が救ってくださると疑わず信じるならば、救われるというのです。福音の教訓を与えて下さったのだ、と考えることができるのであります。

 またこれらの教訓は、度重なる論争において、繰り返し思い起こされるべき教訓です。この教訓によって弟子達の信仰の基礎は固められていきます。イエス様は27節以降、祭司長や律法学者や長老たちと言った宗教的指導者とファリサイ派やヘロデ党といった宗派との論争を繰り広げられます。

 イエス様の敵対者は、荒れ野のサタンのように、言葉巧みにイエス様を攻撃します。そこに立ちあう弟子たちの信仰もまた、彼らの攻撃に合うのです。イエス様は弟子たちの信仰が揺らぐことのないように、神を信じ、祈り、そして敵を赦せという教訓を与え、準備させたということができるでしょう。

 三つの教訓を通して、罪を赦す神様への信仰が与えられました。イエス様は御言葉によってその信仰を強くしてくださいました。この信仰を胸に、イエス様と共に、この世の敵対者との戦いへと赴きます。その都度、信仰が試されることになるでしょう。

 しかし「神を信じなさい」神を疑わず、「神がすべてを適えて下さることを信じて」この世の敵対者を恐れず、むしろ彼らを赦し、愛し、神様への信仰を胸に、強く雄々しく歩む準備をもって、喜び勇んで前に進みたいと思います。


2025年3月16日(日) 主日礼拝 
聖書:マルコによる福音書11章15-19節 
説教:「祈りの家、強盗の巣」 大石啓介

1 神殿の異邦人の庭で商人を追い出す


 2日目の朝、ベタニアを出発したイエス様と弟子たちは、オリーブ山の道を下り、エルサレムの東側の門(「黄金門」)から神殿の境内へと入りました。

 本日の舞台は、神殿に入ってすぐの場所、誰もが通る庭、通称「異邦人の庭」と呼ばれる場所であったと考えられています(巻末の聖書地図10参照)。

 聖書における異邦人とはユダヤ人以外の人々のことです。またユダヤ人とは、旧約聖書の時代より神に選ばれて、神の掟である律法を与えられ、それを守ることによって神の民として歩もうとする「イスラエル」でありました。

 ユダヤ人たちは人間を「イスラエル」と「異邦人」の二つに分けて、自分たちはイスラエルであり、選ばれた神の民、救いにあずかるべき者であることを信じていました。逆に、自分たち以外の人々は皆異邦人で、選ばれておらず、救いから落ちている者たちだとも考えていたようです。

 しかし神殿の中には、異邦人の名を冠する庭があり、異邦人はそこで礼拝を捧げることが許されていました。なぜなら、旧約聖書イザヤ書56章7節で主なる神様がこのように言われているからです。『私の家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』。

 そのように、神殿は異邦人であれだれであれ、すべての人に開かれていました。しかし神殿内のすべての場所に誰でも入ることができたわけではありません。

 当時のエルサレム神殿の構造は、神殿の最も外側に異邦人の庭、その内側にイスラエルの女性の庭(第二の中庭)があり、さらに内側にイスラエルの男性の庭(第三の中庭)、また内側に祭司の庭(第四の中庭)、そして最も奥(中心)に至聖所がありました。

 また異邦人の(外)庭とイスラエルの民の(内)庭との間は壁があり、イスラエルの民は「美しの門」(使徒3章)と呼ばれる門からさらに中心に入ることが許されていましたが、異邦人は神殿の境内の外庭と呼ばれる「異邦人の庭」にのみ入ることが許されていました(さらにイスラエルの民も、性別や宗教上の身分によって入場可能区域が決められておりました)。

 開かれた神殿のこの厳格さは、宗教上の汚れを至聖所に持ち込まないという「聖(きよ)さ」への追及であり、聖書の教えに則った構造であったと考えられています(「清さと汚れ」についてはレビ記参照)。

 さて、そのような構造と境界線を持つ神殿の異邦人の庭が本物語の舞台でした。ここで起こった出来事は、四つの福音書すべてに保管されています。

 イエス様の激しい一面が語られる本物語は、福音書記者の心に深く刻まれた物語の一つと言えるでしょう。それぞれがそれぞれの口を通して本物語を語り、汚れと清めをテーマに語り続けてきました。

 教会は本物語を受け止めたとき、教会内の罪と汚れが問われていることを悟り、その罪を告白し、悔い改め、イエス様による清めを求めて福音に生きる道をその時々でさがしてきました。日本の教会でも本物語を「宮清めの物語」、あるいは「神殿清めの物語」として覚え、語り続けて来ました。

 私たちも本物語が伝えるテーマに倣い、教会の罪と汚れを問い直しつつ、教会を清めてくださるイエス様を求めていきたいと思います。イエス様はエルサレム神殿の何を汚れとしたのか、本物語が私たちに語り掛けている言葉に耳を傾けていきたいと思います。

 こまごまと本日の舞台について見ていきました。なぜなら、この舞台が私たちに聖書読解のための一つの重要な視座を与えてくれると考えるからです。

 つまり、なぜ異邦人の庭で神殿の清めが行われたかと言う視座です。神殿の清めはその中心部で行われず、また、イスラエルの庭で行われたわけでもありませんでした。イエス様は神殿の中心から一番離れた庭で清めを行っています。これは何を意味しているのでしょうか。

 この場面設定は、「神殿は中心地だけではなくすべてが汚れていた」ということを表しているのでしょうか。そしてイエス様は外から清めていくことによって、外堀を埋めて中心へと攻めていくという作戦をとったのでしょうか。それともイエス様は神殿の汚れ、一点一点に目を留め、その都度除去していったのでしょうか。

 つまり神殿に入って早々、異邦人の庭で汚れた行為が行われていたので、それを清められたのでしょうか。そうではありません。

 清めの舞台が「異邦人の庭」でなければならなかった理由は、そこに信仰者すべての人がいたからです。清めは信仰者すべての人が目撃しなければならないことでした。清めはある特定の建物、また一定の役職、またイスラエルの民だけに閉鎖的に行われたわけではありません。

 15節、17節のイエス様の行動と御言葉は、神殿の清めが、異邦人を含むすべての「あなたがた」に向かってなされたことを意味します。イエス様は、すべての人が「神殿の清め」を目撃するために、そしてすべての人々に向かって神様からのメッセージが伝えるために、この場所を選ばれたのです。

 それゆえに、本物語はすべての人々がきかなければならない事柄であり、それは登場人物を越えて、私たちも真剣に耳を傾け、イエス様の行動と御言葉からその御心を悟らなければならないのです。

2 祈りの家、強盗の巣

 次に、すべての人々に本物語が開かれていることを知った私たちは、異邦人の庭で行われたことについて目を向けていきましょう。異邦人の庭では、異邦人の礼拝はもちろん、各所で物の売り買いがなされていました。

 もちろんそれは、エルサレムの特産品やお土産や軽食といった商品の売買が行われていたわけではありません(さずがにユダヤの民もその神殿を重んじています)。

 異邦人の庭では神殿に捧げる為に必要ないけにえの動物が売買されていたのです。いけにえを神様に捧げることは、モーセの律法の要求と完全に一致していました。

 レビ記にはその初めから、神様に捧げるいけにえについて規定されています。欠けのない牛、羊、山羊、そして鳩などが求められていたのです。

 巡礼者はこのいけにえを捧げ礼拝をするのですが、各自の家からその動物を連れてくることはほとんど不可能でした。なぜなら当時のユダヤ人の多くが、諸国に散って生活をしていたからです(離散の民(ディアスポラ))。

 遠くに住むものが、その旅路でいけにえを傷つけずに持参することは、大変困難でした。そのため神殿の内部に、いけにえの動物を売る場所があることは理に適っていたのです。異邦人の庭は大変広い場所でもありましたので、礼拝に必要な店を張る場所としても活用されていたのです。

 また、礼拝を汚れなく行うために、両替人も欠かせない存在でした。巡礼者の中にはローマかギリシアの通貨しかもっていないものがいました。神殿が清くあるために、「汚れている」と見なされていた異邦人の通貨は捧げることはできません。そこで人々は両替人のところで、ローマ、ギリシアの通貨をユダヤの通貨に変えてささげたのです。

 それゆえ、商人たちは無秩序に店を出していたわけではありません。祭司の管轄のもとにある場所ですから、許可を得て、神殿にいくらかの金を納めた上で営業をしていました。

 また、神殿に北にあるアントニアの棟には、ローマの衛兵がいて、治安維持にあたっています。祭司の職権と、ローマ軍隊の警察権が、神殿の内側を守り、また秩序を保っていたのです。イエス様もそのことは充分ご存じでした。しかし、それらのものを差し置いて、イエス様は神殿を15節から16節に渡る行動をとったのです。

 それは、端的に言えば、17節の御言葉通り「祈りの家が強盗の巣となってしまった」からにほかなりません。神殿は旧約聖書の御言葉通り、神様の家であり、そもそも祈りの家でありました。犠牲を捧げることは律法の規定に則った行為でありますが、神殿の根本にあるのは、祈りであったのです。

 本来神殿での商売は、祈りの家としての神性さとそれを守るための秩序に則ってなされなければなりませんでした。しかし現在の神殿の姿は「強盗の巣」と同様に汚れていたのです。

 例えば、他の文献によると、律法において貧しい人のために用意された鳩のいけにえでさえも、神殿の境内において通常の何倍もの値段で売られていたとの報告が残っています。イエス様が神殿の現状を「強盗の巣」と表現するぐらいですから、それらのことがまかり通っていたのでしょう。

『皮肉にも律法に従って「清さ」をたもとうとする努力が、「きたない」もうけをねらう商売となっていたのです』(シルヴァノ・ファウスティ)。そのような人間の思いが汚れを生み、祈りの家なる神殿を蝕んでいたのです。神殿はこのままでは根から枯れていくことでしょう。

3 イエス様の業と説教

 イエス様はその責任を異邦人の庭にいる人々、つまり神様を信じるすべての人々に対して問うています。15節にて、真っ先に「売り買いする人々」に言及されているのは注目に値します。

 つまりそこにいるすべての人々が汚れの原因であり、清めの対象であることを物語っているのです。まず両替人の台や鳩を売る者の腰掛が覆されたのではありません。いきなり境内を通って物を運ぶことをお許しにならなかったのではないのです。

 イエス様はまず、人々の思いと行いそのものにメスを入れていることに注目しなければならないでしょう。何よりもまず、人々の行為そのものが、汚れから解放されなければいけませんでした。イエス様は神殿自体とそこで秩序立って行われていた諸々の商売を汚れたものと見ていたわけではありません。人間の行いの結果、汚れてしまった商売を、汚れてしまった諸々の設備を否定されたのです。

 聖書は、イエス様の行為を順序だてて示すことにおいて、汚れの本質を暴こうとしています。汚れの根源にあるのは、すべての人々でした。

 それゆえにイエス様は、すべての人々の前で、神様の御心を示し、人々に神殿の汚れの責任を問い、罪の告白と悔い改めを、すべての人々に迫っていくのでした(イエス様はここでも、いちじくの木の出来事を通して、先に弟子たちに示されたことを、今度はすべての人々の前で示していかれるのです)。

 17節においてイエス様ははっきりと言います。「あなたがたは、それを強盗の巣にしてしまった」(強調点は大石)。イエス様は15節から16節の行為のあと、17節にて、人々に説教をなさいます。そこにはこう書かれています。

「こう書いてあるではないか。『私の家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。』ところが、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった。」

 これは旧約聖書の御言葉に準じた説教と言うことができるでしょう。つまり、前半においてイザヤ書56章7節を引用し、神殿が「すべての民の祈りの家」であるという事実を悟らせることからはじまり、エレミヤ書7章11節を引用することによって、その神殿が「強盗の巣にしてしまった」ことを明らかにします。

 そしてその責任を「あなたがた」つまり異邦人の庭にいるすべての人々に問うているのであります。ただ売る者だけの責任が問われているのではないことに注意したいと思います(わたしたちはどうしても、商売をする側を批判しがちです)。

 どのような事情であれ買う者もまた「強盗の家」を作り上げているのであれば、同じ罪人として罪を告白し、悔い改めなければならないのだ、イエス様は語っています。

 イエス様は、異邦人の庭に商売の道具が置いてあることをも非難されました。さらに境内を通って物を運ぶこともお許しになりませんでした。イエス様は「祈りの家」を取り戻すために、すでに汚れている物や行為をも除去されます。汚れが残されていては、神殿は枯れてしまうのです。

 しかしそれらは、汚れの本質に付随する汚れであって、本質ではありませ。真に清められるべきは、人々なのです。

4 残されたしこり

 さて、すべての人々はイエス様の行動と説教を聴いてどうしたのでしょうか。それは、18節の後半をご覧いただければわかります。そこには「群衆が皆その教えに心を打たれていた」と報告されています。

 つまり、異邦人の庭で売り買いしていた人々だけではなく、礼拝をしていた異邦人も、通りかかった人々も、イエス様の教えに心を打たれ、神を畏れ、自らの罪を告白し、悔い改めたということでしょう。

 人々はイエス様の御言葉を受け止め、(その時は)回心したのでした。商人は商売をたたみ、買うものとともに祈りに専念したと言えるでしょう。祈りの家を回復するために人々はイエス様と共に祈りを成したのではないでしょうか。

 イエス様の説教は、「権威ある教え」です。そこにいたすべての人々を導いたと考えるのは何も不思議なことではありません。祭司長や律法学者が手出しできないほどの、大きな祈りが、神殿を覆っていたに違いないのです(異邦人だけ、また商人だけが心打たれていたのならば、祭司長や律法学者たちはイエス様を捕えるために乗り込んできたことでしょう)。

 しかし、しこりが残ったこともまた聖書は伝えています。祭司長たちや律法学者たちはイエス様の説教を聴いて、逆にイエス様の殺し方を相談し始めまたのでした。ファリサイ派の人々やヘロデ派の人々だけではなく(マコ3:6)、ここにきて祭司長たちや律法学者たちの内にも殺意が目覚めました。

 イエス様への殺意がユダヤ教の宗派だけではなく、宗教的指導者にまで広がったことは、その実行が近いことを物語っています。神殿の清めの出来事が、十字架の決定打となったと言えるでしょう。祭司長や律法学者たちは、イエス様ではなく群衆を恐れるのですが、これは神様への恐れを忘れ、この世の恐れに支配された人々の姿であると言えるでしょう。

 そのような人は、イエス様を排除しようと動くのです。物語は神殿の清め後もエルサレムの中に罪は残っていくことを語り、閉じられます。それゆえに、三日目以降イエス様は残りの罪と対峙することになります。マルコによる福音書はこれから祭司長、律法学者、長老、そしてファリサイ派の人々の対話が繰り広げられていくのです。

 それは十字架への道をますます加速させるものでしたが、しかしその前に入る前に、つまり三日目の朝に、イエス様は弟子たちに枯れたいちじくの木の教訓を与え、その道のりを励ましていくのです。次週は、悔い改めの先にある福音に特化した御言葉に耳を傾けていきたいと思います。


2025年3月9日(日) 主日礼拝 
聖書:マルコによる福音書11章12-14節 
説教:「実のないいちじくの木」 大石啓介

1 呪いの物語?


 エルサレムでの一日目が終了しました(マコ11:1-11)。週の初めの日曜日にエルサレムに入城しそのすべてを見終えたイエス様は、二日目の月曜日になると神殿の清め(マコ11:15-19)のために弟子ともにベタニアを出発されます。

 物語はすぐにエルサレムでの神殿清めへと展開されるわけではなく、ベタニアを出る際に起こった出来事、つまりいちじくの木に起こった出来事に注目しています(それはまるで、エルサレム入城の前準備の時と同じように!)。

 いちじくの木に関する物語は、第一部(11:12-14)と第二部(11:20-25)に分かれており、神殿清めの物語(11:15-19)を挟むようにして収録されています。マタイによる福音書(マタ21:18-22)にも同じ内容の物語が収められていますが、マタイでは区切ることなく一つの物語として、神殿の清めの後(エルサレムからの帰り道の時に)の出来事として語ります。

 そのため、いちじくの木の物語はもともと一つの物語であったと考えられています。しかしマルコによる福音書著者は、物語を収録する際、二分割し、神殿の清めの物語を挟むように編集しています。それはバンズで具材を包み込む構造をしていることから、サンドイッチ構造と呼ばれており、マルコが愛用する手法です。このサンドイッチ構造が用いられる時、バンズも中身も同じテーマを共有する一つの物語群として、関連付けて読んでほしいという著者の意図があります。

 ですから、いちじくの木の物語の本質は、神殿の清めの物語の本質と共鳴し、同じテーマを提供し、強調し合い、補い合うのです。それぞれの物語の本質を解くための「キーワード」、または「答えそのもの」となるのです(その視点を持つだけで、難しい物語に目が開かれていきます)。

 これからエルサレムでの二日目から三日目に渡る三つの物語を三週にわけて取り上げていきます。共通するテーマを持ちつつ展開される物語たちを読み進めていきましょう。

 さて本日の物語は、イエス様が空腹を覚えられたことから始まりました。夜の祈りに集中し、朝食を食べる暇もなかったのでしょうか。空腹の理由は明らかにされていませんが、いずれにせよ、イエス様は食べ物を求めたのです。

 そこで辺りを見回すと、遠くからでもいちじくとわかるほどの葉の茂った木を見つけました。イエス様は葉の繁り具合から、実が残っているかもしれないと期待したのでしょう。しかし近づいて見てみると、葉のほかは何もありませんでした。

 聖書はその理由を「いちじくの季節ではなかったから」と補足します。するとイエス様はその木に向かって「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われます。この言葉を弟子たちは聞いた、との聖書の報告を経て、物語は次の神殿の清めへと移っていくのです。

 神殿の清めの後、2日目はそれで終了します。しかし三日目の早朝、驚くことにあのいちじくの木が根から枯れていたのです。これを見たペトロはイエス様の言葉を思い起こし、この一連の出来事を「呪い」であったと結論付けています。

 そのためでしょうか、本物語は「いちじくの木を呪う」と題されています。また、一見するといちじくには何も否がなく、むしろイエス様の言動にこそわがままであるかのように見える物語です。

「呪い」という題名や、神性を帯びたイエス様の姿ではなく、人間味を帯びた、八つ当たりにも見えるイエス様の言動に、本物語を聴く多くの人が戸惑ったことでしょう。それは福音書記者もそうでありました。マタイによる福音書(マタ21:18-22)は同じ内容の物語を載せておりますが、マルコのそれとは日時も順番も違います。

 ルカによる福音書はこの物語を採用しておりませんが、代わりに「実がならないいちじくの木」のたとえ話をしています(ルカ13:6-9)。形を変え、品を変え、それぞれ独自の見解を示していますが、その苦労は、一見しただけでは、この物語から福音を聞きとることは大変難しいことを意味しています。
ある牧師はこの物語を現実の出来事としてストレートに読むのではなく、次のような見方で見ることを勧めます。

 つまり、『いちじくに関わる一連の出来事は、イエス様の空腹のゆえに八つ当たり的に起きたものではなく、空腹という事実と葉の繁ったいちじくがそこに生えていたという事実を基にして行われたイエスの行動による譬え話(acted parable)であった。この象徴的行為に含まれている深層意義を読み取らなければ、この物語は、まったく不可解な出来事の記述となってしまう。』

 つまり、本物語をたとえ話、象徴行為として捉え、イエス様がなぜこのような言動をしなければならなかったのかに注目し、なぜいちじくは枯れなければいけなかったのかの原因をいちじくの木の中に探していくのです(その点ではルカによる福音書の見方を参考にするとよいでしょう)。

 そしてイエス様の行動は現実に起こった出来事でありつつ、あくまでも「行動による譬え話」であり、また旧約聖書の預言者たちが普通には有りえそうもないことを行うことによって預言内容を具体的に表し民衆に伝えたという象徴行為(エレ13:1-11,19:1-15,エゼ3:1-11,12:1-16,ホセ1:1以下)と同じであると結論付けています。

 そして14節の御言葉は呪いではなく、預言であると結論付けます。つまりイエス様は、多くの実を約束する葉を豊かに繁らせながらも、実際には一つの実を結ぶ事をしないこのいちじくの偽りの姿に対し、ついに神様の審きが来ることを預言したのだと結論付けていくのです。「呪い」ではなく「預言」である。この視点に倣って、本物語を共に聴いていきたいと思います。
 
2 実のないいちじくの木のたとえ

 いちじくの木は、条件がよければ7-10m程の高さになる木です。早春三月の終わりごろから前年秋に残された芽が成長し、5月から6月頃に成熟する早期の果実と、その年に芽を出し8月から10月頃に収穫される通常の果実の二種類の実を結びます。

 どちらの実にせよ過越祭が開かれる3月から4月の頃はあまり期待できないものでした(マコ11:13)。しかし、いちじくの木の生育習性は変化に富んでおり、冬に葉が落ちてから翌春までに枝に残る実もあります。ですから、収穫の時期ではなくとも、食べることのできる実が残っている可能性は充分考えられたのです。村育ちでいちじくの木の習性をよくご存じであったイエス様は、この残された実を期待して近づかれたのでしょう。

 次に、聖書においていちじくの木がどのようなものを象徴しているのかについて見てみましょう。旧約聖書においていちじくの木はオリーブの木に次いで重要な位置を占めていました(士師9:7以下)。またぶどうの木とともに聖書に登場する際は、繁栄や幸福の象徴として用いられています(王上5:5,ミカ4:4)。

 また律法を守ることは神に喜ばれることで、その喜びはいちじくの実の甘さにたとえられています。しかし一方、預言者たちはいちじくを(ぶどうと同様に)、イスラエルを象徴するものとして用いていているのですが(エレ8:13,ミカ7:1以下,ホセ9:10,16。イザヤ書5章参照)、興味深いことに、彼らは預言の中で、神様の前に罪を犯したイスラエルの姿を、実を結ばないいちじくの木にたとえいます。

 この点は、本物語をたとえ話として聴き、ひも解くうえでとても重要な視座を与えてくれます。つまり、実のないいちじくとは神の前に罪を犯し続ける民、神様の前に悔い改めない民の姿を象徴しているということです。

 このような視点をもって本物語を見直してみましょう。本物語のいちじくの木は、立派に葉を茂らせてはいますが、繁栄や幸福の象徴としてではなく、実のないいちじくの木として登場しています。

 それは、悔い改めることができておらず、未だ神様の前に罪を犯し続けるエルサレムの姿を象徴しています。そしてさらに、イエス様がお求めになった時、実を用意できない姿は、主がお入り用なときに、何も準備ができない怠惰な姿の象徴と言えるでしょう。

 イエス様は突然やって来たのではありません。イエス様の宣教活動は約3年間だと考えられています。三年もの間、ガリラヤを中心に「悔い改めて、福音を信じなさい」と宣教していたのです。

 エルサレムからは遠く離れたガリラヤでの宣教でしたが、エルサレムにもその御言葉は届いておりました。エルサレムに近いエリコの道端ではバルティマイのような信仰者が生まれ、エルサレムからは律法学者とファリサイ派の人々がわざわざ足を運ぶほど、イエス様の名は知れ渡っていたことがその証拠です。

 イエス様がどのような方なのかを知る人々は、イエス様がエルサレムに入城する準備を整え、イエス様が来る際に子ろばを用意し、また自分の上着を敷き、なつめやしの木を切って道に敷き、その準備をしました。そのような準備をする人々と、いちじくの木はあまりにも対照的であったのです。

 その木は神様の前に悔い改める事にも、イエス様の宣教にも、イエス様の登場に無関心でありました。自分自身の季節を生きることにのみ集中し、主がこられる時のための準備を怠っていたのです。そのようないちじくの姿は、マルコによる福音書13章33節以下の物語から言葉を借りるならば、「目を覚ましていなかった」と言うことができるでしょう。

3 いちじくの木への言葉

 いちじくの木は、遠目からもそれとわかるほど、立派に葉が茂らせておりました。しかしそれはうわべだけであり、肝心な実をつけておりませんでした。ルカによる福音書13章6節以下に、「実がならないいちじくの木」のたとえがあるのですが、そこには次のように語られています。

 ある人が自分のぶどう園にいちじくの木を植えて育て、実をさがしたが見つからないので切り倒すように園丁に命じます。三年も実らなければ、もうだめではないかというのです。そのとき、園丁は「ご主人様、今年もそのままにしておいてください」ともう一年、最後の努力を傾けてみるから、待ってほしい、と頼むのです。

 このたとえに登場する園丁はイエス様のことです。主人は神様です。神の厳しい審判が迫る中、イエス様は許しを乞います。鬼気迫った状況です。時が来ても実がつかないいちじくは切り取られてしまいます。いちじくの木は、与えられた一年間の猶予の中で、実をつけなければいけないのです。

 本物語ではルカのたとえより一歩進んでおります。つまり一年後のいちじくの姿が描かれているといえるでしょう。一年後も実を実らせなかったいちじくの木は、園丁であるイエス様によってついに「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われてしまうのです。

 それは、イエス様が実のならない責任の罰を与える為に木を呪ったのではなく、実を結ばない木の没落を預言したということになります。そして預言通りに木は根元から枯れてしまうのでした(「根元から」枯れていたという表現は、完全な破壊(ホセ9:16,ヨブ18:16,28:9,31:12)を意味します)。

 いちじくの木に起こった出来事が、これからエルサレムに起ころうとしています。しかし、エルサレムにはまだ猶予が残されておりました。イエス様はいちじくの木の出来事を通して差し迫っている神様の裁きを警告(詩90:6-7,ヨエル1:12)し、悔い改めを促します。

 エルサレムはこの二日目にイエス様がお示しになったことを通して悔い改めが必要なことを悟り、灰をかぶりつつ、罪を悔い、主なる神さまへ赦しを請わなければなりません。そしてそれはイエス様の再臨を待つ私たちもそうでありましょう。

 今自分たちの罪を悔い改めるのでなければ、突然主が来られた時に弁明はできないのです。イエス様はこの後、13章33節にて、いつ家の主人が帰って来てもいいように、準備をしておく必要性を説きます。そこでは信仰的に「目が開かれること」から発展した「目を覚ましていること」に力点が置かれます。

 私たちは常に、イエス様の到来を準備し、いつイエス様が来られても良いように信仰的な身支度をし、信仰的に目を覚ましておかなければいけません。主の再臨を信じる私たちは、そのような準備のもと、生きていくのです。

 イエス様はこの後、20節以下にてこの象徴行為について解説するのですが、いちじくの木に起こった出来事がイスラエルの没落を象徴するものであると解説は省かれております。それを越えた説教、つまりこの出来事の積極的な意義である、実を結ぶ信仰の教説を教えられるのです。

 それは、「悔い改めて、福音を信じよ」という主の宣言の、「福音を信じなさい」ということに重きが置かれた説教となります。

 しかし、「悔い改め」が説かれていないわけではなく、「悔い改め」が前提であることは変わりありません。個の悔い改めがなければ、イエス様が語る20節以下の説教をも理解することは困難でしょう。

 本日の箇所を通して、改めて悔い改めた心で御言葉を聴き、次の説教に向かいたいと思います。


2025年3月2日(日) 主日礼拝 
聖書:マルコによる福音書11章8-11節 
説教:「ホサナ」 大石啓介

1 信仰体験(はじめに)


 イエス様は「神様がすべてを整えて下さる」という確信のもと、エルサレム入城の準備を進めていきました。イエス様はその準備を弟子達にも手伝わせ、命令を受けた弟子たちもまた素直に従い行動します。

 マルコによる福音書11章1-7節を見ると、実に丁寧にエルサレム入城の準備が整えられていったということがわかります。その準備は、神様とイエス様、そしてイエス様と弟子たちの良き関係の中で整えられていきました。

 弟子たちはエルサレム入城の準備の中で(主の命令に従う時)、「主がお入り用なのです」という御言葉通り、主なる神様がすべてを準備してくださっていることを知ることになります。この体験を弟子たちの信仰体験と言うことができるでしょう。

 これまでもたくさんの信仰体験を弟子たちは経験してきました。この体験は、イエス様の御言葉や命令に従う時に起こります。弟子たちはこの経験を通して成長し、信仰が与えられていったのです。そして、神様がイエス様をイスラエルの人々を救う新しい王として立てて下さったと確信することができました(この信仰はまだ熟してはいません)。

 そしてこの弟子たちによって、エルサレムの入場の最後の準備が整えられます。つまり、自分の上着を掛けることで、エルサレム入城の準備が整うのでした。王の入場の現場に居合わせるだけではなく、その準備に携わることは何と幸せなことでしょうか。

 弟子たちはこの瞬間を忘れることができなかったでしょう(四福音書すべてが喜びをもってこの物語を語っていることからもそのことがうかがえます)。

2 多くの人々(信仰者の群れ

 さて、全ての準備が整った時、ついにイエス様が子ろばにまたがります。イエス様は今までご自身の足で歩んできましたが、ここでは神様の用意した子ろばに乗って進みます。今まで人を乗せたことのなかった子ろばは、バランスを崩しながらも慎重にゆっくりと前に進んでいったことでしょう。その光景を、たくさんの人々が目撃していました。

 ちょうどエルサレムでは、三大祭り(春の過越祭(ペサハ)、夏の五旬祭(シャブオット)、秋の仮庵祭(スコット))の一つ、過越祭というお祭りが開催される時期だったからです(過越祭はニサンの月の十四日、あるいは十五日の夜から始まる一週間のお祝い。現在では3月から4月に行われる春の祭り)。

 過越祭のときはパレスチナ全域から、このエルサレムに、神様を信じるたくさんのユダヤ人が集まるため、エルサレムは街の中も途中の道も、人々で溢れかえっていたのです。

 子ろばに乗ってエルサレムに入ろうとするイエス様の姿はたいへん目立っていたことでしょう。現場に居合わせた人々の中には色々な思いがあったはずです。しかし聖書は、目撃者すべての人々の思いを取り上げるのではなく、一部の人々、つまり聖書の語る「多くの人々」にのみスポットをあて、その人々の様子を取り上げていきます。

 聖書がスポットを当てたこの人々こそ、栄光の光を見つけることができた人々でした。「多くの人々」として紹介されている群れは、あのバルティマイのように「この方こそ、旧約聖書が預言したイスラエルを救う王様である」と確信した信仰者の群れであったということができます。

 この信仰者の群れを構成していたのは、弟子たちを始め、ガリラヤから一緒に旅を続けてきた人々ということができるでしょう。しかしその他にも、直近ではエリコから新たに合流した人々(マコ10:46)、そしてエルサレムから出迎えた人々もいたと考えられます。「前を行く者も後に従う者」がいたという9節の表現は、そのことを表しています(ヨハネ12:18)。

 多くの信仰者たちは、子ろばに乗ってエルサレムに入城するイエス様を見て、この方こそ救い主メシアであり、イスラエルを救う王であり、この人によって新しい王国が立てられる、と確信し歓迎したのです。そのため信仰者たちはすぐに行動します。

 ある者は、自分の上着を道に敷きます。この行為は、イスラエルの王様の即位をお祝いする行為です。旧約聖書の証言の中に、上着を道に敷くことで、王の即位の儀式を行ったという記事があります(王下9:13)。人々は旧約聖書の儀式に則り、自分たちなりの王の即位式を行ったといえるでしょう。

 一方、野原から葉のついた枝を切って来て道に敷く人々もいました。この行為は、当時「恭順」、つまり「命令につつしんで従う態度」を現していました。ここで敷かれた枝は、ヨハネによる福音書によれば、なつめやしの木だったようです。なつめやしの木は、デーツを実らせることで有名ですが、まっすぐな背の高い木であります。

 詩編92編はこれを「正しい者」の象徴として取り扱っています(詩編92:12-14)。また、神殿の装飾の図柄にも採用され(王上6:29、32,エゼ40:16,41:18)、他にも仮庵の祭りと呼ばれる祭りで、なつめやしの枝をもって喜び祝う事から(レビ23:40)、「優美」、「勝利」、「祝福」の象徴とも言われていました。

 そのようななつめやしの枝を地面に敷くことは、王の即位を祝うとともに、この王に忠誠を誓うという意味が込められているのです。人々は、それぞれの行為によって、イエス様を、イスラエルに救いをもたらす王様として歓迎し、この方についていくことを示していくのです。

3 ホサナ

 信仰者たちは続けて讃美によって「王の入場」を祝います。

「ホサナ。主の名によって来られる方に祝福があるように。」
 
「ホサナ」と言う言葉はヘブライ語であり、直訳すると「どうか主よ、救ってください」と言う意味を持つ言葉です(詩118:25)。

 つまり主なる神さまへの祈りの言葉であると言うことができるでしょう。しかし、出エジプトやバビロン捕囚からの解放を経験したイスラエルの人々は、「救いを願う時、神様がかならず助けて下さる」という経験のもと、「ホサナ」という言葉を、喜びの讃美の中に用いるようになっていくのです。

 つまり、「今、救ってください」と救いを祈る言葉としてだけではなく、「今、救ってくださる」と救いを確信する言葉として「ホサナ」が用いられていくのです。信仰者たちが叫んだこの詩は、独自の詩ではありません。これは詩編118編の25節、26節からの引用です。

 詩編118編は「個人の喜びの詩」に分類される詩です。この詩はエルサレム神殿に入る礼拝者たちの詩でありました(詩118:19以下)。礼拝のために長い旅をしてきた人々が、神殿に足を踏み入れたときに喜びをもってこの詩をうたっていたようです。

 そのため、詩編118編26節の「主の名によって来る人」とは、本来礼拝者のことを指しています。礼拝者たちは、自分自身に救いと祝福があるようにと祈りと、そしてまた救いを与えてくださる神さまに感謝して、讃美の言葉として「ホサナ」とうたっていたのです。

 ところが本物語の信仰者たちは、この詩編を、自分たち巡礼者のためではなくイエス様のエルサレム入城のために捧げています。彼ら彼女らは、巡礼者の神殿到着よりも、もっと大切な預言者の言ったメシアの神殿到着のために讃美の詩を捧げているのです。自分たちのためではなく、王のために、つまりイエス様のためにこの詩を捧げたのでした(マラ3:1「…あなたがたが求めている主は/突然、神殿に来られる」)。

 さらに続けて人々は、次のようにうたいます。

「我らの父ダビデの来るべき国に祝福があるように。/いと高き所にホサナ。」

 これはどこからの引用でもありません。前の言葉を発展させたものと言えます。イエス様を王と認めただけではなく、さらにイエス様によって治められる王国が来ることを讃美します。

「父ダビデの木たるべき国」というセリフは、バルティマイによって語られた「ダビデの子」という言葉と符合します。人々は、ダビデ王の子孫から救い主として王が表れるという神様の約束を信じていました。信仰者はイエス様にその姿を見ます。ついに来るべき王が来て、それとともにダビデの王国が始まった、と実感したのです。

 それはすなわち、ローマの支配のもとにおかれていたイスラエルが、今、自分たちの民の中から立った自分たちの王によって治められ、イスラエルの主権と自由と栄光とを回復する、との確信に至ったのです。それはまさに新しい時代の幕開けであり、神様の支配の始まりであり、よって神の国の始まりを意味していました。

「神の国が来た」という群衆の喜びは最高潮に達し、その喜びは天にいます父なる神様に向けられます。「いと高きところにホサナ」と叫ぶのです。いと高きところに、とは天に住む聖なる神さまに、ということです。その神様が「今、救ってくださるように」と願い、また「今、救ってくださる」という確信が捧げられます。それをもって讃美は閉じられていくのです。

4 一日目の終わり

 ところで、信仰者に歓迎されたイエス様は、エルサレムに入り、そしてそのまま神殿へと赴きました。神殿の境内に入られたイエス様は、周囲を一瞥します。

 その後すぐ、イエス様は十二人を連れてベタニアへと出て行かれて一日目が終了します。神殿の清めは翌朝にまわされましたが、一日目の最後に、イエス様が神殿すべてを見回したことには大きな意味があります。

 なぜなら、エルサレムの現状を王なるイエス様がご覧になったからです。思い返していただくと、イエス様は、この一日目の初めに(ゼカリヤの預言の通りに)オリーブ山にて足を止め、エルサレムを遠くから一望しています。

 そして一日目の最後に、近くからもすべてを見たのです。つまり、この一日目に、遠くから近くから、内からも外からもイエス様はエルサレムのすべてをご覧になったのです。イスラエルの新しい王がすべてをご覧になったのですから、エルサレムはもう逃れることはできません(創11:5以下,18:16以下参照)。王の目に映るものが、都市の未来を決定づけます。

 時が来たのです。もう弁解はできません。

 王が来られることを知りつつ準備せず、王が求めた時にその実を提供できない木は枯れてしまう(マコ11:20)。同じように、エルサレムはこれから神殿を中心に清められていくのです。

 しかしすでに夕方になりました。そのために、イエス様はベタニアに退かれるのですが、それは一時の休息のためではありませんでした。イエス様は夜におこなわなければならないことがありました。それは、これまでと同様、人知れず祈りにおける戦いの中に身を投じることでした。イエス様は、昼はエルサレムにて、夜は祈りにてすべての人々の救いのために働かれるお方、その姿は真の意味でイスラエルを救い統治する王でした。

 その王は、政治的な革命を通してではなく、すべての中心となる神殿革命(礼拝革命)を行い、仕られるためではなく仕えるために来た方、そして多くの人の身代金として自分の命を捧げるために来た王です。この王こそが、イスラエルを救う真の王です。

 イエス様の歩む道は、栄光の道であると同時に、十字架の道であることを忘れては、キリストの本質を見失うことになるでしょう。それは人々の予想をはるかに超えた王でした。人々はそれゆえにこの王につまずき、王の到来を正しく讃美しながら、十字架に引き渡すという罪を重ねてしまうのです。

 しかし、躓いた人々を攻め立てることを私たちはしてはいけないでしょう。なぜならこの時、人々にはまだ聖霊による導きがなかったからでした(ヨハネによる福音書参照)。聖霊による導きなくしては、人は誰もイエス様の本質を知ることができません。そのため、彼ら彼女らがこの出来事の意味を知るのは、聖霊降臨の日となります。知るすべを与えられていない人々をどうして責めることができましょうか。

 私たちが問われているのは罪深い人々を探し出すことではなく、すでに結末を知る私たちが、イエス・キリストを知る者として、同じ罪を繰り返さない事、そしてなぜイエス様が苦難を歩まなければならなかったのかに目を向けることです。開かれた目と耳でその答えを理解し、悟ることです(マコ8:18)。

 そのためにもこれからはより真剣にイエス様の御後に従い、自分の十字架を背負いつつ、エルサレムにて語られる御言葉を聴き、イエス様が成すすべてのことを見、その御心を知るための旅を続けたいと思います。